ジャポニカ米の起源は東南アジアが起源と言う研究の結果が出ました。
先日、稲作の起源という本を読んだのですが、まさにこのような起源を予想していました。
この本の著者は、稲を種子として植えるのではなく、野生の稲を株分けしていくうちに、栽培種となって、最終的には主要な穀物として人工栽培されるに至ったのではないかと言うことでした。
東南アジアには、バナナやサトイモ、ハトムギなど株分けで増える作物は多いようです。
そうした作物を湿地で栽培するうちに、当初はお茶(玄米茶)として(あまり期待せずに)植えていた稲が、食べられるほどの米を作るまでに至ったと言う話です。
稲が人工的に大量に栽培され、それによって民族が豊かになって繁栄した、稲作の起源は長江上流の東南アジア系の民族であることは、間違いではないと思います。
稲の起源は遺伝子から解明できますが、稲作の起源は遺跡の発掘など幸運も必要です。期待して待ちたいですね。
稲作は、常に高床建築と行動を共にしてきました。
長江上流から、長江下流に移動し、そこで呉や越、楚と言う国をつくります。特に呉や越は稲作海洋民族と言ってもいいくらいの海洋渡航能力を持っていました。
呉が越に滅ぼされ、越が楚に滅ぼされ、越の移民は北と南に散り散りとなりました。
南に行った連中は、現在の福建省辺りに百越と言う国をつくりましたし、ベトナムにも至っています。
北に行った連中は、山東半島を中継地点に、朝鮮半島や日本に至っています。
これが後に倭人と呼ばれる弥生人。
食生活や建築様式の最も根源的な部分を構成している稲作のストーリーが一つ確かになったということで、今後のさらなる進展に期待したいですね。
水田でつくる稲作は、連作障害も起こりにくく、土壌の流出も少なく、肥料の要求も少なく、雑草に負けにくく、栄養も豊富でパーフェクトな作物です。
今後の世界の食料問題解決にも、是非がんばって欲しいものです。
広島では、世界に誇る高床建築があります。
丹下健三設計の原爆資料館です。丹下さんは今治市出身ですが、昔愛媛を仕切っていた越智氏は越族の王族の子孫と名乗っていましたし、丹下さんのご母堂は、越(族)の国である新潟の出身です。
稲作海洋民族のつくる建築は、単に高床であるだけでなく、間(ま)をうまく使っています。
具体的な物質として建築物がありますが、建築と建築の間や、建築の内部空間などの間は、大きな特徴だと思います。原爆資料館は、資料館そのものも美しいですが、資料館を通って出現する原爆ドームまでの空間の存在が非常に巧みにつくられています。
コルビュジェが模型段階で絶賛したのも、その間の扱い方ですし、イサムノグチとシンクロしていたのも、その間の部分でしょう。
間(ま)という空間の起源はどこなのでしょうか?
稲作を始めた長江上流の村では、天然の沼に稲を植え、建築は高床で沼の水面の上に建てていたようです。
小舟で稲を育てていました。
穏やかな水面にそよぐ稲。それを取り囲む高床の建築群。
その沼の水面は、地上としての利用が不可能な空間です。voidであり、blancです。
その風景が間の起源ではないでしょうか?