0トップ

http://www.chugoku-np.co.jp/Sanfre/Sw200806200084.html

明日のサンフレッチェ(水戸戦)は、0トップでやるみたいですね。
幸司と陽介、高萩の3トップというよりも3トップ下。
世界の潮流の最先端を行っているのか?
次回のEUROあたりでは、0トップが主流になってるかもしれないですね。
去年は0DF(1MF+1FW)というフォーメーションを見せてくれました。
明日は、、、
3-7-0(3-2-2-3-0)です。

以前はトップに当てて二人目の動き、、、という時代が有って、最近はさらにそこに飛び込む三人目の動きが重視されてきました。
最近の広島の佐藤寿人の1トップは、従来のイメージので高さがあって空中戦に強いという1トップではありませんが、一応FWです。
去年、寿人1トップがうまくいかなかったけど、今年うまくいってるので、やってみようと思ったのでしょう。
0トップというのは、明確な起点を設けないということ。中心性をなくし、約束事をなくす。
そして、流動性を高めることと同時に、アップダウンの運動性も高めるということになると思います。
あるときは5バック又は3ボランチ。あるときは3人のトップ下だけでなく、両サイドもペナルティエリアに飛び込むということになるイメージです。

サンフレッチェのペトロビッチ監督は、オシムが監督時代、その下でコーチを務めた事もある同じ旧ユーゴ出身ですが、、、
オシムは美しさの為に死ぬのは愚かだ、、、という言葉を残したように、理想と現実のバランスを突き詰める数学者。
しかしわれらのペトロビッチは、美しさの為には死ねるという言葉を吐くほどの美意識の持ち主。
現在、J2でも華麗なサッカーで勝ち進んでいますが、契約が切れる今年一杯で広島を去ると言う噂もあります。
是非、死ぬほど美しいサッカーの完成を今年見たいものです。

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写真は美しい師弟愛

iPhone2

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いよいよ日本でもiPhoneが発売されるようです。
といっても、世界のかなりの国(今年中に70カ国)で発売されるようですが。
電話機であると同時に、iPodでもあり、Macでもある素晴らしい工業製品です。
iPodが音楽業界に大きな風穴を開けましたが、このiPhoneも携帯電話業界に大きな風穴を開けると思います。
現時点では、新しい物好きな人たちが買って楽しむという段階だと思いますが、、、
今後は、さらに展開していくと思います。

3月6日に発表された後、iPhone用のソフト開発のツールが世界で25万超えたと言う事です。
つまり、一つの携帯電話に搭載するアプリケーションを開発する人が25万人いるということ。
通常の携帯電話では、標準的なアプリケーション?が数個あるだけですし、開発環境はオープンにされていません。

従来の家電のカテゴリであった携帯電話に、パソコンの世界を持ち込んだiPhoneは、単にハードの機能だけ持ち込んだのではなく、文化も持ち込んだ訳です。
一言で言うとアメリカ西海岸的自由ですね。
GPSもモーションセンサ(Wiiのリモコンみたいなもの)も搭載されていますので、今後、どんなアプリケーションが出てくるか。そういう期待感が一番のiPhoneの可能性だと思います。

他の家電メーカーも似たような電話機をつくることは可能だと思います。
しかし、3ヶ月で62カ国から25万人の開発者を集める事は先ず無理でしょう。
マイクロソフトもこういうことやりたいと思ってるでしょうけど、所詮ソフト会社なので、ハードを自前で作れない。OSとハード、その他含めて全ての環境を自前で作れるAppleだからこそやれることだと思います。しかも家電とパソコンの世界は相当隔たりがありますが、そこを突破できることも、これまで幾多のチャレンジと失敗を繰り返したおかげです。他人のふんどしで相撲を取ろうというM$とは、そこの蓄積が違うと思いますね。

ジョブズの代表的な仕事を振り返ってみると、共通している事がいくつかあります。
パーソナル、Art/amusement、コンパクト、完成された製品、ソフトとハードの融合、、、

1977年 AppleII
1984年 macintosh
1988年 Next Cube
1998年 iMac
2001年 iPod
2007年 iPhone

iPhoneを最大限有効に使うだけのインフラはまだ整っていないけど、どのようにインフラを整備すべきかは、逆に具体的なプロダクトがあって初めて明確になります。
そういう意味で、今後の可能性に期待したいと思います。
僕は、、、当然様子見ですが。

ジョブズのプレゼンテーション

ガス炊飯器

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長年使ってた炊飯器が壊れてしまったので、新しい炊飯器を買いました。
壊れた炊飯器は結婚した後に買ったものなので、もう15年以上も使った事になります。
ごはんは大好きなのですが、それほど美味しく炊けるわけでもない炊飯器を長く使ってきたのは、使えるものを捨てて買い替えるという行為が好きじゃないからですので、次も又長いつきあいになるだろうから、気合いが入りました。
もちろん電気炊飯器も考えたのですが、日本の100Vの電圧では美味しく炊く為の「中ぱっぱ」が十分じゃない。
IHにするとパワーもあるようですが、毎日電磁波でごはん炊くのも妙な気分ですし、やはり直火でごはん炊くのが気分的にしっくりくるのでガス式にしました。
ガス炊飯器にして2週間ほど経ちますが、毎日美味しくごはんが炊けてます。

ほんとはタイマーとか保温とかのないシンプルなものにして、お櫃を併用して、、、と思ったのですが、子供の弁当つくるときに、炊飯器のスイッチを入れる為に早起きするのはいやだと却下されたので、いろいろな機能がついたものになりました。
シンプルなガス炊飯器は、指でぐっと押してON/OFFするタイプで、点火は電池。ガス管をつなぐだけなんですね。そういうシンプルな機構にはぐっとくるものがあります。
秋田杉のお櫃もずっとあこがれてたのですが、次の機会になりました。

岡山・柚木沙弥郎展

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先週末に、柚木沙弥郎展を観に岡山に行ってきました。
岡田新一設計の県立美術館で展覧会、丸善のギャラリーで展示会。
布への染による仕事が多かったですが、絵本の原画などもあって、しっかり観る事が出来てよかったです。
自由にのびのびと表現しているところは非常にいいですね。色の使い方も。

岡山城の近くだったので、ぶらぶらしながら天守閣まで登ってみました。
一応平山城ということですが、川も近く、平城のような感じで、商業と行政を一体化させる都市計画の意志も感じられ、広島城と同時期のものかと思ったらそうでした。
広島城は1589年着工。岡山城は1590年大規模改修開始。
広島城は聚楽第(1586年)と大坂城(1583年)をモデルにしていますが、岡山城は金箔瓦や天守閣の形状など安土城に近い雰囲気も感じます。
あの頃は、織田信長によって中世のしがらみがなくなって、戦国時代も終わり、自由な商業と、大規模な計画的な行政が一体になって日本中があたらしく生まれ変わっていた時期でした。家康の江戸入城は1590年。
五大老の居城だった、江戸、広島、岡山、金沢などが、率先して当時の先進的な都市をつくっていったと思うのですが、当時の時代のスピードにも驚きます。
広島城築城は、だれもがやめろというような無茶な計画で、途中でなんども資金が尽きています。
それも毛利輝元には、先見の明があったということでしょうけど、そうした都市計画のモデルとなる大坂をつくった豊臣秀吉のすごさですね。安土から大坂への飛躍はすごいと思います。

大坂城よりも金がかかったと言われる広島城周辺は、いまは閉鎖的な公共建築や幹線道路が多くて、落ち着きの無い町になっていますが、岡山城周辺は、城下町の風情を残していました。
後楽園は観れなかったので、次回はゆっくり見て回りたいですね。