広島県の自治体の最新人口

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最低人口の自治体は8000人。
現在の市町村合併は、日本の地方自治体の行政能力(自治能力)を上げるということが目的ですから、広島県は非常に忠実に合併を行ったという事ですね。
最終目的は道州制ですから、それに向かって更なる努力を期待したいです。
しかし湯来町が広島市佐伯区というのは、未だ慣れませんね。

■広島県の市町人口(平成18年3月31日現在)
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1 広島市  114.1 万人
2 福山市   46.3 万人
3 呉市    25.3 万人
4 東広島市  17.6 万人
5 尾道市   15.3 万人
6 廿日市市  11.8 万人
7 三原市   10.4 万人
8 三次市   6.0 万人
9 府中町   5.1 万人
10 府中市   4.6 万人
11 庄原市   4.4 万人
12 安芸高田市 3.4 万人
13 竹原市   3.1 万人
14 大竹市   3.0 万人
15 江田島市  3.0 万人
16 海田町   2.8 万人
17 熊野町   2.6 万人
18 北広島町  2.1 万人
19 世羅町   1.9 万人
20 坂町    1.3 万人
21 神石高原町 1.2 万人
22 大崎上島町 0.9 万人
23 安芸太田町 0.8 万人
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  合計    287.1 万人

広島と毛利輝元と萩と福岡

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ひょんなきっかけで、広島城のことが書かれたHPを見ていると、興味深い一文に目がとまった。
広島城の建設費用は、なんと大坂城よりも多いというのだ。
大坂城が約700億円、広島城が約1000億円。(土木に金がかかりすぎて、建築は簡素だったようですが、、、)
それまで、毛利家は中国地方を支配する大大名とであったが、居城は吉田の山城で、守備は堅かったが当時としては時代遅れだったのだろう。
広島城の計画に着手したのは、大坂城が完成した後のこと。
大坂の町と、大坂城を見ていたく感動し、城下町は大坂を、城は聚楽第をモデルにしたと言われてる。
監修は秀吉の天下をプロデュースした黒田如水。

当時の広島は河口に広がる浅瀬や湿地で、とても建築に適した土地ではないと皆からやめろといわれていたらしい。なのになぜ建設を強行したのだろう?

当時は豊臣秀吉の天下が確定し、それによって実現する日本の経済システムが今後の主流となると思われていた。徳川家康は米経済だったが、織田、豊臣は貨幣経済だった。
徳川政権は領地から生まれる米の生産を政治の中心に置いたが、海外との交易、国内の流通の促進。それによって金を得ることを政治の中心に置いたのが織豊政権だった。それを象徴し、政治の中心となる都市が安土であり、大坂だった。

大坂は元々本願寺があった高台から本願寺を追い出して大坂城を築き、堀割でつながる商都をつくり、堺から強制的に商人を呼び込んできた。
広島も城下町は堀がつながり、碁盤の目の都市が広がっていた。
国内流通や国際貿易にも適した立地でもあるので、西日本の大坂となる町を広島の地に出現させようとしたのだろう。
不幸にして広島城完成前に、関ヶ原の合戦があり、毛利家は周防長門に移るが、そこで萩城をつくっている。
そこでも、海沿いの防衛と流通に適した土地に、城を築いていることから、広島でやり残したことを萩で実現したと思っていいだろう。

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監修した黒田如水も、その後福岡の地に自前の福岡城を築いている。その後の福岡の隆盛は言うまでもないだろう。ちなみに黒田家は薬売りもしていたので、武と商ともにやっていたという意味では、坂本龍馬にもつながるセンスがあったと思われる。

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豊臣政権とまるで違う政策の徳川幕府ができたので、海外貿易も停止し、国内流通でも広島城下は大坂に比べて大きな働きをすることはなかったし、浅野家も経済のセンスは疑問だったけど、もしも毛利が広島城主で、豊臣政権のような経済型の社会が続いていたらどうなっていたのか想像すると面白い。
果たして東洋のベニスとはいわないまでも、中国地方の大坂になったのだろうか?
優れた商人は、経験だけでなく歴史や生活から吸収するセンスも必要。

大坂は堺の商人を注入することで急ごしらえの城下町を大商都にした。
広島の商都としてのインフラはできたと思うが、果たして大商都となるセンスが備わっていたのか?
毛利家は鎌倉時代に厚木から移ってきた東国の荒き武門の家柄で策謀と暗殺を得意とするニヒルな気質。
そのあたりを考えると、夢も萎えてくるので、このあたりで妄想はやめにしておきたい。

毛利輝元は賢公か愚公かは判断つかないが、壮大な夢とそれを実現させる多大なる努力を持ち合わせた人物であったことがわかったことは大きな収穫だった。

くどいようですが
大坂城は700億 広島城は1000億

佐藤寿人の2発

昨日は、広島はホーム二勝目。僕にとっては勝利初観戦でした。
一進一退の展開から、後半広大な磐田のDF裏のスペースに青山が蹴り出し、寿人の巧妙なファーストタッチで得点。
二点目もウェズレイが力ずくで奪った球を寿人に渡して2点目。

ペトロビッチ(やオシム)が目指す人も球も動く流動的なサッカーの展開からの得点ではなくて、速攻による2点ですが、気持ちのいい試合でした。
下田の驚異的な反応も見応えありました。
福西も体のバランスが良かったし、カードを貰わないような巧妙な肘うちや暴力(笑)、最後のPK欲しさのシミュレーションもさすが。前田も敏捷な動きを見せていた時間もあったし、途中で入ったカレンの知的でない!走りも効果あったと思う。

理想を貫くのか、勝てるサッカーを続けるのか?
監督や戸田は悩んでいるようですね。
90分間守り抜いてカウンターで勝つというサッカーをしている訳じゃないので、安定するまでは今の流れでいいと思うのですが。

やぶへび 9→12→8

西洋のキリスト教社会は、サイエンスやアートは、世俗的な社会から距離を置き、お金や権力のために奉仕するのではなく、純粋で神聖な分野となることを目指してきた。明治以降、日本もそうした芸術や科学を受け入れ、今に至っている。
それは、ガリレオ・ガリレイが社会(当時はキリスト教)の圧力で、客観性のある科学的真実を歪められた事も無関係ではないでしょう。ガリレオはほんとに悔しかったと思います。

太陽系の惑星をどう定義するのか?
ちょっと気になる話題ですよね。
僕が幼稚園頃に宇宙戦艦ヤマトが猛烈に流行り、小学校の中学年頃には続編の映画やテレビアニメが放映されました。
そこでも、冥王星は太陽系にお別れする最後の惑星として大きな意味を持っていました。古代進の兄、守が戦死した言われたのも確か冥王星でしたね。
丁度その頃から冥王星は海王星よりも内側の軌道を回る時期で、当時は「水金地火木土天冥海」と覚えたものでした。

最初は何を今更と思っていましたが、観測技術の向上で、太陽系をぐるぐる回る物体は随分発見が進んできたので、再定義をということだったのですが、そもそも冥王星が惑星であるということは昔から問題視されていたようです。
アメリカが唯一発見した惑星で、その名前を取ってディズニーのキャラクターも誕生したようです。(PLUTO)
鉄腕アトムにも同名のキャラクターが存在します。

その再定義も、科学者たちの議論と投票によって決めるというのも新鮮でしたね。
日本だったら公開の場で投票するということはあり得ないですが。
結果は、新しい星を加えるわけでもなく、従来通りのスタイルを守るわけでもなく、課題の修正にとどまりました。
逆に言うなら、今後惑星を増やすべきでないというのが今回の結論の背景にあったのでしょう。
冥王星を許すなら、同等の資格がある星は今後沢山出てくるから、冥王星を外そうということですから。

科学者たちが計算式や数字だけでデジタルに決めるわけでもなく、開かれてはいますが多数決という政治的手法で重要な事を決めるということが面白かったですね。もちろんガリレオの裁判の頃とはもちろん様相は変わっていますが、サイエンスであれアートであれ、社会と完全に切り離されたところでは成立しないということです。
あの人間味のある惑星投票のシーンは、人間の知恵や尊厳の上に社会やサイエンスが成り立っているということを僕たちに示してくれたように思います。
子どもの教科書や、子どもに教えるべきことが、ある意味ひっくり返ってしまうわけですが、そんなことは日常茶飯事だと言うことを子どもにまず教えるべきでしょう。
新しい発見があって変わることもありますが、今回のように話し合って定義が変わるということもあるわけです。
太陽のまわりをぐるぐる回るものの数が変わる訳じゃないし、僕たちにとってそれらの存在意義が変わるわけでもない。
僕たちは一時的に冥王星を惑星と定義していたというだけの話です。
逆にPLUTOらしいと思いませんか?

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