司馬遼太郎との対談

日本の歴史と言えば、源平の戦いや、関ヶ原の合戦前後、明治維新あたりが面白いと思っていたし、その時代を中心に子供の頃から書物や大河ドラマで多くの情報を注ぎ込まれていた。
しかし、日本の生活や文化のイメージをがらりと変えたのは、中世つまり室町時代の中期ころだと思う。一番情報が少ない時代だ。
このあたりは、網野善彦(中沢新一のおじさん)が面白い。

網野の本を探していたら、司馬遼太郎と対談をしているものがあった(司馬遼太郎対話選集 この国のはじまりについて)ので読んでみた。

いろいろな雑誌での対談を編集した物なので、司馬はほぼ同じ持論を様々な相手にぶつけているのだが、相手がなかなかの大物なので非常に面白かった。

林家辰三郎とは、出雲のこと、吉備のこと、東国のことを話しているのだが、僕がこれまであちこちで断片的に聞いてきた情報を、一つの大きなかたまりに整理して教えてくれたというものだった。
朝鮮半島東部から渡ってきた複数の製鉄集団が出雲に上陸し、吉備に渡る。鉄の製造により吉備は豊になり、大化の改新のバックボーンとなる。
朝廷は、朝鮮半島の動乱によって日本に渡ってきた移民を東国に移し、開拓をさせるが、それが独立農園をつくり後の武士集団となる。それらが朝廷からなかば独立しようとしたのが源頼朝の鎌倉幕府。
鎌倉時代に、東国の武士集団が守護や地頭として地方に移住するが、広島はかなり東国の影響が多い地方。
甲斐の武田氏が来たので、家来の毛利や佐々木がその後も残ったので、西国でありながらどこか几帳面だし、標準語(東国語)とイントネーションはかなり近い。

湯川秀樹は、日本の地域性や言語、永井路子は鎌倉時代の東国と西国の男女観あたりが面白い。
ライシャワーも面白いね。

あちこちに出てきたのは、近江や伊勢の商人たち。
江戸時代に、大阪の古着を江戸に送って3倍で売るという商売をしてたけど、太平洋経由で東北への航路が開けると、東北で古着屋をやる。現金が貯まると高利貸しをやる。焼き畑農業の東北人はすぐ土地を取られて、あっというまに奴隷化したということですね。米軍に農地解放されるまで苦しんだ東北農民の大変さを生んだのが、突然の新航路の開拓で、原始的な農業社会に突然高度な商業が到達した結果ということです。
明治の北海道開拓でのアイヌや、植民地化した朝鮮半島や傀儡国となった満洲でもまさに同じことがおこりましたね。お人好しのお百姓さんや漁師さんが綺麗なものを買ってたら、気がついたら土地を取られて、そこで働く小作になってたということです。これはアフリカやアジア、アメリカなど文明の衝突があったところではどこでもあった話ですが、すごくローカルなところなのでリアリティが違います。

別の話で、秀吉の子分達が、官僚派と経済派に分裂して関ヶ原の合戦につながったのですが、武闘派は秀吉の出身地の尾張の出身で、官僚派は近江長浜で城持ちになったときに集めた浅野の旧臣たち。
嫁もねねは尾張。淀君は浅野の娘。
ということで尾張と近江の分裂に三河の家康と安芸の毛利が絡んで大きな戦になったということなんですね。
やはり近江商人は、斎藤道三や織田信長、豊臣秀吉を支え大坂をつくり、農業を主軸に置いた家康は尾張の武闘派と組んで近江商人一派と戦ったわけです。

日本の歴史上、大きな二大勢力の激突は、経済系と農業&武闘系の戦いですね。
今でもそうです。
ライブドアや村上ファンドの犯罪性は置いておいて、その体質が嫌いな人と、好きな(許容する)人に二分されると思います。
好きな人は平清盛や織田信長、豊臣秀吉、石田三成、坂本龍馬系
嫌いな人は源頼朝や徳川家康、大久保利通系という感じでしょうか。

渦中のオシムが語る

オシムらしい誠実な姿勢で、代表監督について取り組もうとしているのでほっとした。
協会がオシムの邪魔をしなければ、4年間続くだろう。
しかし、会長のオシムに対する評価が驚くほど低いのは何故なのかが謎。
話し合いは、今週の後半から始まると思うが、オシムの要求は純粋に日本代表がより強くなるためのものだろう。それを純粋に飲むことができるなら何も問題ないのだろうが、オシムに断られるなら病巣はかなり深刻ということになるだろう。

次期監督

本人に軽く打診した段階で名前を出してしまって、報道では決定したかのような話になっている。(敗戦の責任者として叩かれるのを防ぐために意図的にリークしたという説もあるが、その可能性は非常に高いと思う。)
ブラジル風の個人技依存サッカーよりも、機動力を生かした騎馬民族サッカーの方が日本には向いているので、オシムの就任は期待したい。
大会前は、川淵は独断でジーコの院政と、ブラジル人監督(セレーゾ?)を画策していたようだから、惨敗や関連業者との関係を批判されたことが、独裁を終わらせるきっかけになったのだろう。
とりあえずあと2年は会長をやらせてもらうかわりに、代表に口を挟むのはやめろという話になったのではないか。
事実上、川淵を外して南アフリカ体制をつくることになったと思っていいだろう。
田嶋技術委員長への世代交代ということであれば、電信柱当てて2人目3人目の飛び出しが好きなので平山が多用されるだろう。松井も。

日本には長年蓄積する固有の戦術があって、WユースやU23でも、それに準じて指導や試合をしてきている。
そう言う意味で、全てのカテゴリにはっきりとした規律と戦術を構想できる知将が就任することは非常に楽しみ。

サンフレッチェの監督にはオシムの教え子が就任して、7/22の広島×ジェフ戦では子弟対決が見られるかと思ったけど無理かも。
サンフレッチェは岡田代表監督時代の小野コーチを監督にしていたがこの春解任。
後継監督をジーコの元同僚セレーゾにしようとしたけど断られた。(日本代表の話を期待したからなのか?)
そして代表にオシムが就任?し、オシムの後継監督が広島の監督に。
代表というかサッカー協会のまわりをぐるぐる廻っている感じもするが、日本の最大の持ち味は、次々と追い越しながら前線にどんどん飛び込んでゆく機動力。
小野元監督もオシムもそういうサッカーだし、広島のペトロビッチ新監督もそんな感じ。楽しみです。
セレーゾをチョイスした理由は、客が呼べる監督ということだったので、折り合わなくてほっとしています。

広島は、先日の練習試合では、3バック1ボランチの3-5-2の布陣だったようです。鳥肌が立ちました。
ベストメンバーだったら、↓のような感じかな。
少ない人数でカウンターというのじゃなくて、ボールを奪った瞬間に次々前線に飛び出してゆくというサッカーを見たいです。

       寿人   ウェズレイ
           (新東欧人?)
     浩司        和幸
服部            (ベット)   駒野
           戸田
          (和幸)
    盛田    ジニーニョ    吉弘

           下田

負け方が下手な日本

今朝のブラジル戦では、奇跡を夢見る10分間と、45分間の地獄を味わいました。
勝つ勝つと宗教じみた呪文を唱えてる時点でやばいなとは思っていましたが。

思い通りに行かないと、一気に崩れてしまうのは、ドーハの悲劇から成長してないんじゃないかとも思ったけど、よく考えてみれば意外と多いパターンだと思う。
島国のおかげでほとんど外国と勝負することは無かったのです、実は日本はよく負けている。それも自滅的な崩れ方で。
今でこそ外国と勝負するのはスポーツや文化、芸術などの分野ですが、昔は戦争が張り合う主な手段でした。
一番激しくダメージとして残っているのはアメリカとの勝負に負けた時のことですね。今でも社会にはダメージが大きく残っています。もちろん日本国内だけでなく関係した国々にも。もっと上手に負ける方法はいくらでもあったのに。
白村江の戦いも激しく負けた。日本が島国にひきこもってしまうようになったのも、これがきっかけでしょう。慢心が原因。
勝ったと錯覚している元寇も日露戦争も内容を見れば勝ち点1の引分け。惨敗の可能性があったものを、なんとか引分けに。コンフェデのブラジル戦やドイツとのテストマッチのように、全力で勝負すれば強豪と引き分ける力はある。
強引に始めた日清戦争も、その後三国干渉で勝ち点を放棄させられたので、これも勝ち点1。やるべきでない戦争でした。
朝鮮半島や中国大陸への無為な侵攻は衰弱戦の末敗北。莫大な迷惑をかけたことも大きな損失です。これもやるべきでない戦争。

負けた理由は、不純な動機と予測の甘さ、準備不足と負けることの対処不足。今回のW杯も同じですね。
辛うじて引き分けたものは、それなりの準備をしていたし、勝負を甘く見ていなかった。

その点、ロシアは上手かった。負けたと見せかけてどんどん奥に誘い込んで、冬の到来を待って一気に殲滅する。
ナポレオンもヒトラーもそれで自滅した。
日本はそこまでとはいわないまでも、負けている状態でも、メンタルをコントロールし、逆襲を狙うくらいの余裕が欲しい。

潜在的な力が発揮できないことがこの3試合で一番悔やむことであるなら、先ずは負け上手になるということが最大の課題だろう。
負けを恐れる心が、取り返しのつかない惨敗を生むし、負けから学ぶ余裕も失う。
勝ち続けなければならないと思い、負ければ全ておしまいという思いこみがバランスを失って冷静な判断を奪う原因にもなっている。
勝負の世界は勝つこともあれば負けることもある。
勝っても負けても、冷静に前を向いて課題を解決するという姿勢が何より大切だと、この3試合は教えてくれたと思う。