意外と常識的な判断をするジーコ

頑固で非現実的な人間だと思われていたジーコが、最後の最後で現実的な判断をしていることに驚いています。
コンディションが上がらない久保を外し巻を選択。
守備ができない三都主をDF(4バック)ではなくMF(3バック)にすることで、小笠原を補欠に。
FWは別にすれば、この3-5-2が今の日本代表の最強の布陣でしょう。

これに加えて、切り札が、小野(⇔俊輔)、小笠原(⇔坪井)、玉田(⇔三都主?)、巻(⇔高原)、大黒(⇔柳沢)とあり、さらに稲本、遠藤もいます。

切り札の起用のタイミングとしては、1-0で先制されてがちがちに守られなかなか追いつけない時、0-1で先制して波状攻撃を交わして逃げ切りたいとき、もちろん三都主の裏をばんばん狙われてクロスをぽんぽん入れられるときというのもあり得ます。

最初の二試合は一点の取り合いになるので、取られたら二点取らないといけなくなる。
そういう意味で、サブの面々が非常に心強いのはいいことですが、駒野の出番は少なそうなのがジーコに対する最大の不満です。

「コミュニティとプライバシー」

しばらく前に古本屋で入手した「コミュニティとプライバシー」(鹿島出版会)を読んでみた。
1963年にアメリカで初版が出ていますから、学生運動が始まる前ですかね。アポロは1969年です。ちなみに僕が生まれたのは1968年12月ですから、この本が出て約5年後で、翻訳が出て2年後です。

シャマイエフは初めてだけど、アレキサンダーは学生の頃から気になる人で、講演会も一回聞いたことがあります。
この本が出たのはなんとアレキサンダー28才。翻訳した岡田新一はまだ事務所をつくっていません。

この本は、「毎月、デトロイトほどの都市人口が世界の人口に加えられつつあります。」と言う文章で始まります。
世界が膨張に次ぐ膨張を重ね、交通量も増え、過密と食料、エネルギーの不足に悩む状況が背景として存在しています。無計画な膨張が、多くの不幸な環境を生んでいるが、従来の土木的な都市計画でもない新たな視点をなんとか成立させようという意気込みを感じます。
僕が建築を学んだ84年から91年までの期間は、まさにモダニズムの自滅とポストモダン、バブル経済とその崩壊という一連の時期でした。さらに言うと、東大陥落時に産声を上げ、物心ついたときには大阪万博失敗とオイルショック、とカープの初優勝。小学校ではスタグフレーション(成長なきインフレ)を学び、造船不況を乗り越えて、建築を勉強することになったのです。

この本は、そうしたモダニズムがゆらぎ始めた時期に、新しい芽が誕生し、それが次なる枝になろうという意欲を感じられるものです。図やテキストをコラージュし、断片化されたコンパクトな情報によって、単一のストーリーとして編集することを避け、全体を知の構造体としてくみ上げる手法は、アレキサンダー特有のものを感じます。

その頃からまだ40年しか経っていない日本は、いかに人口減少を食い止めるかということが最大の課題になっています。
課題であった膨張する地域は、先進国から途上国に移りました。
都市というものの課題がいかに移ろいやすいかということも、改めて振り返るとやはり新鮮です。逆に言うなら、40年後には当然まるっきり違う課題が僕たちの廻りには誕生しているはずですが、今の日本のような課題を持つ地域がどこかにあるということも予想できます。
課題というものは、過ぎ去ったものは単なる歴史的事実として知ることも大切ですが、課題とその対策として普遍的な知識や、対処のパターンとして知っておくことも必要ですね。

このころは、建築家は都市レベルの課題を常に考え、行動していました。
現在は、建築の表層を考えるという小さな役割に満足しているように思います。○○イズムというものに、乗っかるとろくなことにならないと、ポストモダニズムに乗っかった人たちがそうした流れを作ったのかもしれませんし、現代の社会では役割分担がはっきりしすぎたので、都市レベルの話は不動産屋が専業という話になったのかもしれません。

最後に、人口膨張という課題は、終わったことではなく、実はこれからが本番となります。
日本だけ考えれば、隠居後の生活が最大の問題という感じもしますが、今後は世界がより密接に繋がりますし、日本と特に近い地域が爆発しますので、人ごとではないですね。
そうした意味でも面白い本でした。

どっかいっちゃうボランチ

やはり中田が上手くフィットしていないようですね。
敵がボールを持ったときの守備の動きの感覚がずれているようです。
中田はボールが敵の中盤に渡ったら、早めにプレスに行くタイプ。しかし福西や他のDF達は逆にスペースを潰して守りを固めるタイプ。
実は、広島でも同じことがおこっていて、それが守備が混乱した原因にもなっていました。広島は、新加入の戸田が、とにかく広いスペースを追い回すタイプ。
育った場所や経験の違う選手の感覚には差があって当然だけど、チームとしてどう守るかは、監督が決め、実行すべきプランを提示する必要がある。
広島の場合、小野監督が戸田に近い戦術を提示し、戸田以外の選手が実行きしれ無かったので、そうした混乱が生じていた。

結果を見れば、そうしたどっかいっちゃうボランチの空いたスペースを使われて失点するから、戦犯扱いされがちだけど、中田も戸田も自分が動いた後をカバーする動きを期待している。
戸田が機能していた試合は、相方のボランチが高柳で、お互い声をかけながら、広大なスペースをケアしていた。

代表も、中田と他の守備陣のバランスに苦労しているが、どこかでどちらかが歩み寄る必要はある。そのためのコミュニケーションはできているようだけど、ある段階でジーコが戦術を確定する必要はあると思う。
去年の終わりにジーコが招集しようとしたのは今野だった。(怪我してたので代わりに長谷部が招集されたが)
現時点では、どっかいっちゃうボランチの相棒に最適なのは、今野(タイプ)だと思う。
中田と戸田の存在は、ボランチのあり方を考えさせるいいきっかけですね。トップ下の存在も変わりつつあるので、今回のW杯でもどっかいっちゃうボランチが注目されるかもしれないですね。

いずれにしても中田に絡んだ守備の課題は、今後要チェックです。
広島もセレーゾが金銭面が解決すれば決まるようなので、こちらも要チェック。

判定の難しさ バルサ×アーセナル

水曜日、またしても雨だったが、近くの広島スタジアムに広島×清水戦(ナビスコカップ)を見に行ってきた。
田んぼのようなコンディションのグラウンドでの厳しい試合の中、一瞬の隙をつかれて試合は負けた。
しかし従来の5バックで守ってカウンターと言う戦術ではなく、むしろラインを積極的に上げて、サイド(服部)を使った展開。負けたのはもちろん残念だけど、一時のように崩れ落ちるような負け方じゃなかったし、新監督がまでに立ち直ったと言っていい状況まで持ち直した。

しかし負けて悔しいので、気分を変えようと思ったのと、W杯の予行演習を兼ねて、朝3:30に起きてバルサ×アーセナルのチャンピョンズリーグ決勝を見た。
結果や経緯はその後のニュースの通りだけど、難しいと思ったのはレフリーのジャッジ。
ゴールに迫るFWの足に、GKの手が触れ、笛を吹かれた後に、別のFWがゴール。
GKが退場となり、得点は認められなかった。そしてロナウジーーニョがFKを外して、試合は継続。

結果はバルサが勝ったのだが、ロナウジーニョは低調で、一人少なくなったアーセナルはガチガチに守りを固めるし、最初はフレンドリーだったピッチの雰囲気も、その判定以降は危険なファールが続出する険悪なものに。
試合後もベンゲル監督もアンリも憤慨し、バルサへの移籍の噂があったアンリはアーセナルと4年契約。
ベンゲル監督は勇退の後、日本代表監督との噂もあったが、恐らくアーセナルと再契約するだろう。
W杯に影響は持ち越すこともあるかもしれない。

あの笛を吹くのが数秒遅かったら、、、
と思うのは野暮だけど。
目の前の状況判断をするだけでは、いいジャッジをしたとは言えない。
その後の流れを瞬間的に察知し、笛を吹くタイミングをあえて数秒遅らせると言う判断があれば、、、
世界最高の舞台にふさわしいレフリーと言えるのだろうが。
僕たちも、目の前の現象だけにとらわれること無く、未来におこるかもしれない現象に少しゆとりを持っておくこと。それが必要だなと、アンリの怒りと、日本サッカー協会の落胆から学びました。