信長の棺,秀吉の枷,明智左馬助の恋

[amazon_image id=”4532170672″ link=”true” target=”_blank” size=”medium” ]信長の棺[/amazon_image] [amazon_image id=”4532170699″ link=”true” target=”_blank” size=”medium” ]秀吉の枷 (上)[/amazon_image] [amazon_image id=”4532170761″ link=”true” target=”_blank” size=”medium” ]明智左馬助の恋[/amazon_image]

加藤廣さんの本能寺三部作。
信長の側近の文書係が隠居後に秘密を明らかにする「信長の棺」。
リタイヤした70代の分筆家という設定は、サラリーマン引退後に小説家になったご自身を投影してるようなストーリーです。
美味しい思いをするのは願望なのか?

秀吉サイドから描いた「秀吉の枷」、明智光秀の娘婿が主人公の「明智左馬之助の恋」。三者の立場から本能寺の変を描きます。
それしかない!と思ってしまうしか無いような筆の力に脱帽です。
非常に読み応えのある歴史小説でした。

明智左馬之助の元の名前は三宅弥平次。備中三宅氏ですが、三宅久之氏の先祖筋にあたるようですね。
後醍醐天皇に最も忠実に仕えた児島高徳は三宅氏の祖のようです。

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む

かつて宮本常一さんが行った、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」についてのセミナーを書き起こした本です。
イザベラ・バードは、世界最高の旅行家の一人と言っていいでしょう。
スコットランド人女性で、世界様々な国を旅し、旅行記を残しました。単なる個人の旅行記を超えた学術的にも軍事的にも(当時の)貴重な内容だったと思います。

その本を元に、宮本常一さんが当時の日本の風俗や文化を語る5回ほどのセミナーをそのまま本にしています。
およそ130年ほど前の日本特に東日本の生活や姿がいきいきと描かれてるので、複雑な気分になりますが、130年という時間の長さや重さを感じることができます。
イザベラの記述に、宮本さんが解説を加えることで、イザベラの見た日本がより立体的になります。
宮本さんは周防大島出身なので、東西の文化比較なども盛り込んでてそれもまた面白い。
イザベラ×宮本の2倍楽しめる非常に贅沢な一冊となっています。

読み終えてあとがきを見ると、このセミナーや出版のお世話をした山崎禅雄さんがあとがきを書いている。
十数年前に仕事で何度かお会いしたことのある方です。

イザベラは、同時期に朝鮮や中国にも行っています。
併せて読むと、西洋の列強が押し寄せてきた明治初旬のアジアの庶民の生活がより身近になると思います。

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SHERLOCK

先日、英国のドラマ「SHERLOCK」が放映されてました。
シャーロック・ホームズが現代にいて、活躍する・・・というストーリーです。
当然携帯やパソコンを使いますし、馬車じゃなくタクシーに乗りますが、気難しいところや驚異的な洞察力、土壌や薬物、生体の知識は原作通りという設定です。
ワトソンくんも原作どおりですが、シャーロックの活躍を新聞に投稿するのではなく、ブログに書くという設定。
90分の3回シリーズでしたが、非常に面白いドラマでした。

僕がシャーロック・ホームズにはまったのは小学校高学年の頃、岩波少年文庫のシリーズからでした。ホームズの本を全て読んだ後、新潮文庫版を読んだのですが、子供向けと内容が違うことに驚いたことを思い出します。
子供の頃は、自分が見たものや自分の周りがすべての世界で、小学校や子ども向けの本など、外のことを知らない小さな世界だけで暮らしてる感じでした。
でも字の小さな文庫本を読んだら、岩波少年文庫と同じタイトルがえらく詳しく面白く書いてる。
限定されてた世界の外に広がるほんとの世界を初めて知るきっかけになったのがシャーロック・ホームズだったのです。
また読み返したくなりました。

「地球の歩き方」の歩き方

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「地球の歩き方」の創刊30年の節目に、スタートした熱い4人の話をまとめたものを中心に出版されたものです。
地球の歩き方と言えば、世代によって様々なイメージを持ってると思います。
時代とともに旅の手段や方法、スタイルが変わってきましたが、日本の若者の傍らにはこの本が常にあったと思います。
「歩き方」メンバーは、1970年代前半からの活動のスタートですから、僕が初めて使った91年は、スタートから20年経った円熟期だった訳です。
そのときの「歩き方」の持つ独特の気配が何をルーツとしていたのかもよくわかるいい本でした。

91年に最初に旅は、大学の卒業式が終わったあとで、有り合わせのお金をかき集めて中国行きのフェリーに乗り、そのままユーラシア大陸を放浪することになったのですが、、、旅のあとで就職することになる設計事務所の所長から、フレーム式のバックパックを借りて行きました。
その所長も若い頃、ヨーロッパを放浪してて、その話をさんざん聞いていたこともおおいに影響を受けてました。所長が旅したのが、ちょうど「歩き方」創刊直前の時期だったと思います。
所長の熱い旅のエネルギーと同じ熱さを、創刊時の4人から感じましたし、旅というものの意味も熱かったんだと思います。

中国だけ旅行するつもりだった僕は、「歩き方中国編」と日本円のチェックだけ持っていました。その後、パキスタンやイラン、トルコ、ギリシャに行くのですが、当然情報は皆無。通貨の名称も、陸路で出入国する町も知らないという状況。
日本人と出会うと、夜に「歩き方」を借りて、行きそうな都市の情報をノートに書き写す日々。面倒になって、次第に、バスターミナルと安宿街がだいたいどのあたりにあるか、美味しい飯屋がどのあたりにあるか。その程度になっていきました。おかげで今でも、町の気配を読んで行動するのはかなり得意ですね。
イランは当時日本語のガイドブックが存在しなかったのですが、陸路で旅する人たちが、紙にイランでの旅情報をメモした「イランへの道」という数枚のコーピーがありました。いろいろな人が書き加えていたり、書き直されていたり。バージョンもたくさんありました。
究極のガイドブックです。

最初に「歩き方」を作った人たちは、そういうものを目指していたんでしょうね。
旅をする人が、同じ道を行く人に伝えるメッセージ。その感謝の気持ちを次の旅人に伝えることで、旅の時空間が醸し出されていくということ。
旅のフロンティアがなくなってしまった現在、情報誌としての「歩き方」の使命は終わってしまったと思いますが、逆にあふれる情報とどういう距離感を持って自由に旅をするのか?という状況でしょうね。