早起き読書2「ウィルス進化論」中原秀臣・佐川峻

タイトルでピーンと来ました。ライアルワトソンなども同様の説を唱えていましたが、こちらはかなり現実的な理論となっています。
要するに、遺伝子情報の運び屋であるウイルスが、遺伝子の変化(=進化)の主役だということ。
現実に、現在も人工的にそのようにして遺伝子操作をしているので、自然界でも行われているというのはごく当たり前のことだと思うのですが、ダーウィン教徒が主流の学術界では苦戦中とのことです。
ちなみにウイルスと言っても病気を引き起こすものはほんの一部のようです。

肉体(ハード)の進化は確かに遺伝子の運び屋が必要です。では、社会や個人のメンタルや思想(ソフト)の運び屋は何だろう?
人類はハードの進化は限界に達しています。というよりも頭が大きくなりすぎて、チンパンジーの胎児並の状態で出産され、僅かに成長しただけで大人になります。
ハードを進化させない(できない)代わりに、ソフトを進化させるという生き物が人類だと思います。
ハードの遺伝子の運び屋がウイルスであるなら、ソフトの遺伝子の運び屋は文化(culture)ではないでしょうか。
人が感動するというのは、自分の持つ価値観に大きな衝撃を受けると言うことで、結果として何らかの影響を受けるということです。
音楽は聴覚から、文学は創造力、絵画や彫刻は視覚でしょう。日常レベル、個人レベルでは、コミュニケーションということになると思います。
その中でも、身体を包みこみ、ハードにもソフトにも影響を与える建築というものは興味深い存在だと思います。

早起き読書1「わたしは猫になりたかった」西江雅之

最近は30分ほど早起きして本を読むことにしています。
一日のいいリズムがつくれていいですね。

最近読んだのは、、、、

「わたしは猫になりたかった」西江雅之
文化人類学者の西江さんが子どもの頃からの半生を描いた本です。
とにかく最高です。
中学生のころ、小澤征爾の「僕の音楽武者修行」を読んで、将来は世界を駆けめぐってやろうと熱く思ったものですが、この本もそうした熱くて少し変わってる中学生や高校生にぴったりかもしれません。
以前、小さなギャラリーで行われたレクチャーで、最前列で西江さんの話を聞くことができました。脳だけでなく、体の細胞全てが面白いと感じた話でした。

西江雅之公式サイト

司馬遼太郎との対談

日本の歴史と言えば、源平の戦いや、関ヶ原の合戦前後、明治維新あたりが面白いと思っていたし、その時代を中心に子供の頃から書物や大河ドラマで多くの情報を注ぎ込まれていた。
しかし、日本の生活や文化のイメージをがらりと変えたのは、中世つまり室町時代の中期ころだと思う。一番情報が少ない時代だ。
このあたりは、網野善彦(中沢新一のおじさん)が面白い。

網野の本を探していたら、司馬遼太郎と対談をしているものがあった(司馬遼太郎対話選集 この国のはじまりについて)ので読んでみた。

いろいろな雑誌での対談を編集した物なので、司馬はほぼ同じ持論を様々な相手にぶつけているのだが、相手がなかなかの大物なので非常に面白かった。

林家辰三郎とは、出雲のこと、吉備のこと、東国のことを話しているのだが、僕がこれまであちこちで断片的に聞いてきた情報を、一つの大きなかたまりに整理して教えてくれたというものだった。
朝鮮半島東部から渡ってきた複数の製鉄集団が出雲に上陸し、吉備に渡る。鉄の製造により吉備は豊になり、大化の改新のバックボーンとなる。
朝廷は、朝鮮半島の動乱によって日本に渡ってきた移民を東国に移し、開拓をさせるが、それが独立農園をつくり後の武士集団となる。それらが朝廷からなかば独立しようとしたのが源頼朝の鎌倉幕府。
鎌倉時代に、東国の武士集団が守護や地頭として地方に移住するが、広島はかなり東国の影響が多い地方。
甲斐の武田氏が来たので、家来の毛利や佐々木がその後も残ったので、西国でありながらどこか几帳面だし、標準語(東国語)とイントネーションはかなり近い。

湯川秀樹は、日本の地域性や言語、永井路子は鎌倉時代の東国と西国の男女観あたりが面白い。
ライシャワーも面白いね。

あちこちに出てきたのは、近江や伊勢の商人たち。
江戸時代に、大阪の古着を江戸に送って3倍で売るという商売をしてたけど、太平洋経由で東北への航路が開けると、東北で古着屋をやる。現金が貯まると高利貸しをやる。焼き畑農業の東北人はすぐ土地を取られて、あっというまに奴隷化したということですね。米軍に農地解放されるまで苦しんだ東北農民の大変さを生んだのが、突然の新航路の開拓で、原始的な農業社会に突然高度な商業が到達した結果ということです。
明治の北海道開拓でのアイヌや、植民地化した朝鮮半島や傀儡国となった満洲でもまさに同じことがおこりましたね。お人好しのお百姓さんや漁師さんが綺麗なものを買ってたら、気がついたら土地を取られて、そこで働く小作になってたということです。これはアフリカやアジア、アメリカなど文明の衝突があったところではどこでもあった話ですが、すごくローカルなところなのでリアリティが違います。

別の話で、秀吉の子分達が、官僚派と経済派に分裂して関ヶ原の合戦につながったのですが、武闘派は秀吉の出身地の尾張の出身で、官僚派は近江長浜で城持ちになったときに集めた浅野の旧臣たち。
嫁もねねは尾張。淀君は浅野の娘。
ということで尾張と近江の分裂に三河の家康と安芸の毛利が絡んで大きな戦になったということなんですね。
やはり近江商人は、斎藤道三や織田信長、豊臣秀吉を支え大坂をつくり、農業を主軸に置いた家康は尾張の武闘派と組んで近江商人一派と戦ったわけです。

日本の歴史上、大きな二大勢力の激突は、経済系と農業&武闘系の戦いですね。
今でもそうです。
ライブドアや村上ファンドの犯罪性は置いておいて、その体質が嫌いな人と、好きな(許容する)人に二分されると思います。
好きな人は平清盛や織田信長、豊臣秀吉、石田三成、坂本龍馬系
嫌いな人は源頼朝や徳川家康、大久保利通系という感じでしょうか。

「コミュニティとプライバシー」

しばらく前に古本屋で入手した「コミュニティとプライバシー」(鹿島出版会)を読んでみた。
1963年にアメリカで初版が出ていますから、学生運動が始まる前ですかね。アポロは1969年です。ちなみに僕が生まれたのは1968年12月ですから、この本が出て約5年後で、翻訳が出て2年後です。

シャマイエフは初めてだけど、アレキサンダーは学生の頃から気になる人で、講演会も一回聞いたことがあります。
この本が出たのはなんとアレキサンダー28才。翻訳した岡田新一はまだ事務所をつくっていません。

この本は、「毎月、デトロイトほどの都市人口が世界の人口に加えられつつあります。」と言う文章で始まります。
世界が膨張に次ぐ膨張を重ね、交通量も増え、過密と食料、エネルギーの不足に悩む状況が背景として存在しています。無計画な膨張が、多くの不幸な環境を生んでいるが、従来の土木的な都市計画でもない新たな視点をなんとか成立させようという意気込みを感じます。
僕が建築を学んだ84年から91年までの期間は、まさにモダニズムの自滅とポストモダン、バブル経済とその崩壊という一連の時期でした。さらに言うと、東大陥落時に産声を上げ、物心ついたときには大阪万博失敗とオイルショック、とカープの初優勝。小学校ではスタグフレーション(成長なきインフレ)を学び、造船不況を乗り越えて、建築を勉強することになったのです。

この本は、そうしたモダニズムがゆらぎ始めた時期に、新しい芽が誕生し、それが次なる枝になろうという意欲を感じられるものです。図やテキストをコラージュし、断片化されたコンパクトな情報によって、単一のストーリーとして編集することを避け、全体を知の構造体としてくみ上げる手法は、アレキサンダー特有のものを感じます。

その頃からまだ40年しか経っていない日本は、いかに人口減少を食い止めるかということが最大の課題になっています。
課題であった膨張する地域は、先進国から途上国に移りました。
都市というものの課題がいかに移ろいやすいかということも、改めて振り返るとやはり新鮮です。逆に言うなら、40年後には当然まるっきり違う課題が僕たちの廻りには誕生しているはずですが、今の日本のような課題を持つ地域がどこかにあるということも予想できます。
課題というものは、過ぎ去ったものは単なる歴史的事実として知ることも大切ですが、課題とその対策として普遍的な知識や、対処のパターンとして知っておくことも必要ですね。

このころは、建築家は都市レベルの課題を常に考え、行動していました。
現在は、建築の表層を考えるという小さな役割に満足しているように思います。○○イズムというものに、乗っかるとろくなことにならないと、ポストモダニズムに乗っかった人たちがそうした流れを作ったのかもしれませんし、現代の社会では役割分担がはっきりしすぎたので、都市レベルの話は不動産屋が専業という話になったのかもしれません。

最後に、人口膨張という課題は、終わったことではなく、実はこれからが本番となります。
日本だけ考えれば、隠居後の生活が最大の問題という感じもしますが、今後は世界がより密接に繋がりますし、日本と特に近い地域が爆発しますので、人ごとではないですね。
そうした意味でも面白い本でした。