福音館の松居直さん

僕が生まれた時、うちには福音館の絵本が沢山ありました。離島の中学校の教師だった父が隣の島の御手洗の本屋さんに、兄のために福音館の絵本を何冊か注文したつもりが、福音館の当時の絵本全部が届いたようで、ダンボール何箱分もの絵本があったのです。父の間違いなのか、本屋さんの間違いなのかは分かりませんが、幸運に恵まれたと思っています。

お陰で、僕は福音館の絵本が血となり肉となって今に至っています。どの本も素晴らしくて、読み返すことがあっても、どれもいつも新鮮で。今ほど絵本が豊富にあった時代ではなかったのに、本屋のない離島の教員住宅の一室が子どもにとって天国のような場所でした。

福音館でそれらを作ったひとりが松居直さんだと知りました。月刊誌 母の友も、母が購読していたので、単に絵本やお話だけではなく、世の中のことを知る機会も子供の頃から身につける事ができました。連載されていた「銀のほのおの国」を少し大きくなって読むようにもなったので、何度も何度も引っ張り出して読んでいました。

おおきなかぶ、ぐりとぐら、じぷた、がらがらどん、てぶくろ、どろんこハリー、ラチとらいおん、しろいうさぎとくろいうさぎ、ブレーメンのおんがくたい、アンディとらいおん、マーシャとくま、、、

松居さんに心から感謝し、ご冥福をお祈りします。

源義経とアイヌとイザベラ・バード

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、脚本家の腕が素晴らしく、歴史的な史実をうまくエンターテインメントとして作り上げています。特に、菅田将暉の源義経は、これまで演じられてきた源義経のイメージを塗り替えてしまった感じです。

源義経伝説は各地に残っているようです。武力に特別秀でていた八幡太郎義家のひ孫で、当時の常識を覆す戦術は、驚きと共に強さとして歴史に残っています。

明治初期にアジアを旅して、貴重な書物を残したスコットランド人地理学者のイザベラ・バードは、「日本奥地紀行」の中に北海道を訪れたときの記録を書き記しています。

「副酋長が私に、病人に対して親切にしれくれたことに対するお礼として、外国人が今まで誰も訪れたことのない彼らの神社に案内したい、と言った。
「ジグザグ道の頂上の壁ぎりぎりの端に木造の神社が建っている。」「明らかに日本式建築である。」
「棚には歴史的英雄義経の像が入っている小さな厨子がある。」「義経の華々しい戦の手柄のためではなくて、伝説によれば彼がアイヌ人に対して親切であったというだけの理由で、ここに義経の霊を絶やさずに守っているのを見て、私は何かほろりとしたものを感じた。」

とあります。
日本建築の神社であることから、いつの時期かに建立したのは東北地方から来た日本人なのか。アイヌ人に親切であったという伝説は、判官贔屓の私たちにも嬉しい伝説ですが、アイヌ人に親切にしたイザベラ・バードがここに招かれたこともまた興味深いです。

サピエンス全史

読もうと思いながら手をつけてなかったサピエンス全史を読みました。
私たちホモ・サピエンスの誕生から現在まで客観的にわかりやすく、そして未来の可能性も少しふれています。
ホモ・サピエンス以外の広い意味での人類の仲間であるネアンデルタールやホモ・エレクトスなど、私たちのようにならなかった別の人類との違いから見えること、様々な歴史の中で選択可能だった選択肢の可能性など、当たり前と思っている自分たちの常識を俯瞰してみることのできる視点が新鮮でした。

eのつくAnne

NHK BSPで「アンという名の少女(ANNE WITH AN”E”)」を放映しています。
昭和後期世代にとっては、村岡花子訳の小説や高畑勲監督のアニメの印象が強いと思います。
高畑監督のアニメには、途中まで宮崎駿さんが関わってたようですが、あまり好きなキャラクターではなかったようで、カリオストロの城に行ってしまったようです。

今回のドラマはカナダのCBCとNetflixの制作で、3シーズンのうちの第1シーズン。
アンがプリンスエドワード島に行くまでの孤児院などでの辛い体験がトラウマになっている設定をはじめ、ありえたであろう様々な社会状況がリアルさを感じるくらい描かれています。
かつてのアンの想い出を大切にするなら観ない方がいいかも。

作者のモンゴメリは1874年(明治7年)生まれなので、高浜虚子や佐藤紅緑と同い年となります。
作品を発表したのは1908年なので、19世紀末のプリンスエドワード島の生活が描かれていることになります。
孤児院で育った少女が高い教育を受けて成長する物語として有名な小説に「あしながおじさん」がありますが、作者のジーン・ウェブスターは1876年生まれ、作品の発表は1912年なのでほぼ同時代と言っていいでしょう。
両作品は、カナダ東北部とニュージャージー州と距離は離れているものの、共に孤児院など社会福祉や女性の教育や社会活動についてをテーマにしていますが、その時代の女性の勢いが今に続いてるように感じます。
日本でも平塚らいてうの青鞜が1911年創刊。
女学校を出て教師をしていた祖母は1905年生まれだったので、大正デモクラシーの時代の空気から何らかの影響を受けているのかもしれません。