暮しの手帖

[amazon_image id=”4766001036″ link=”true” target=”_blank” size=”medium” ]戦争中の暮しの記録―保存版[/amazon_image]

暮しの手帖社が、「戦争中の暮しの記録」と言う本を出しています。
60年代に暮しの手帖の別冊として出版された後に、単行本として刊行され現在まで続いています。
おそらく出版社が続く限り、版を重ねて出版され続けるのではないかと思います。
花森さんは、戦時中には大政翼賛会で国民に対する宣伝を行う仕事についていて、「欲しがりません勝つまでは」の名コピーにも関わっている人。
あの不幸な戦争については、想像以上の深い思いがあると思います。
その思いが形になったものの一つがこの本だと思います。

僕達が戦争というと、戦場での戦いや、外交や戦略、様々な運動のように、マクロの視点で捉えたり、そういう動きに流されたりすることが多い。政治や外交のフィールドで戦争や平和を語るのが我々庶民の立脚点として正しいのかと常々疑問に思っています。
しかし、この本は、戦時下の様々な人が、自分の言葉や文字でその苦難に満ちた生活を等身大に語っているもの。
いかなる環境であっても、家族や個人がいかなる境遇であっても、力強く、時には泣きながら暮らしは成り立っているということに改めて感じるものはあります。
幸不幸は糾える縄のごとく、非永続性、非連続性のものであると同時に、そもそもが相対的なもの。
現在の自らが置かれている環境や状況の中で精一杯生きること。
それが暮らしの原点であると思います。
明日は、我が国が最後に戦争を終えた日から丁度68年。
この本はまだ読みかけなので、明日はこの本の一人ひとりの生活と向き合う一日としたいと思っています。

藝人春秋

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今朝、早く目がさめたので水道橋博士の「藝人春秋」を読みました。
水道橋博士は、youtubeの「博士も知らないニッポンのウラ」「博士の異常な鼎談」で目に止まった人物。
ゲストを読んで話を聞く、インターネット番組ですが、ゲストの質がいい。
サブカル好きで、80年代に思春期だった世代には非常にツボにハマる内容だった。
通常の対談番組は、ゲストのいいところをゲストに都合よく引き出すものが多いが、この番組は、水道橋博士のしっかりとした事前準備(資料の読み込み)と絶妙な突っ込みで、知的な笑いを生み出すものでした。

特に傑作だったのが、苫米地さんの最初の回。
「藝人春秋」でも触れられていたが、苫米地さんの延々と続いた自慢話の後に、いかがわしい着メロの話を突っ込む。
苫米地さんのうろたえながらの切り返しも見事。

「藝人春秋」は、ネットの「博士の〜」の世界観をそのまま文章にしたもの。
作りこまれた文章と選ばれたエピソードは、短い時間で読み進ませて、涙とともに心地よい読後感を生み出します。

細部にこだわる物知りの突っ込みというのは、お笑いではなかなか難しかったと思います。
特に理屈っぽいところもあるので。
特定の対象(相方)に突っ込むのではなく、社会全体(特に自分が好きな世界)を対象に突っ込むというポジションをうまく創りだすことに成功し、新たな話芸を展開してる。そんな感じです。

実際、師匠であるビートたけしからは40代で行き詰まると心配されたが、50代で自分の道を花開かせました。

百田尚樹さん

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[amazon_image id=”406216700X” link=”true” target=”_blank” size=”medium” ]錨を上げよ(上) [/amazon_image] [amazon_image id=”4062167018″ link=”true” target=”_blank” size=”medium” ]錨を上げよ(下)[/amazon_image]

百田尚樹さんの「海賊と呼ばれた男」が、本屋大賞を受賞しました。
本屋大賞は、全国の本屋さんの書店員による投票によって選ばれる賞です。去年は三浦しをんさんの「舟を編む」。
百田さんの本は立て続けに読んだところだったので、ちょうどいいタイミングでした。

「海賊と呼ばれた男」は、出光佐三がモデルとされた小説ですが、内容が詳細であまりにも濃い上に、文体が平たく量も多い。
読んでる自分が、物語の渦中に放り込まれたような感覚になってしまいます。
かつて、一人称で描くノンフィクションが注目されましたが、それに近い感じ。
文章の力だけでなく、時代の間隔を詳細に捉える力、もちろん取材する力に圧倒されます。

「錨を上げよ」は、自伝的小説と言われています。
百田さんとほとんど同じキャラクターの主人公の青春時代を描いた物語とも言えますが、あまりにも生々しく、激しく、痛い。
夏目の「坊ちゃん」が高度成長期の関西に生まれてたらこんな感じだったかなとも思わせる。

百田さんの文章の世界は、他では感じることのない独特の世界。
破天荒な人間が描く、破天荒な人物とその時代。
面白いけど、かなり疲れます。
少し時間を空けて、次に取り組もうと思っています。

海賊とよばれた男 人物相関図

ドリトル先生の再翻訳

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福岡伸一さんが、ドリトル先生シリースを再翻訳するようですね。
井伏鱒二さんの翻訳には、深い愛着がありますが、単語や表現に時代を感じますから仕方がないのでしょうか。
期待しています。

アーサー・ランサムシリーズは、神宮輝夫さん自らが現在再翻訳中です。
岩波少年文庫としては、将来も長く出版を続けるという意志の現れのようにも感じます。
心にしみついた言葉が変わってしまうものは寂しいですが、将来の子どもたちにスムーズに伝わるような翻訳の手直しは必要かもしれません。
その点、翻訳文学はまどろっこしいですね。