新米を食べる

お米はいつも作り手がイメージできる状況の玄米を30kg単位で買って、10kgずつ精米して食べています。
今年も新米が出る前に30kgを買ったので、やっと新米が食べれます。ちょうど、今日は新嘗祭だったので、先週買ったミルキープリンセスを精米して、お昼にたっぷり食べました。ミルキークイーンの穂を短くして、作りやすさと倒れにくさを改良した品種のようです。
錦町の帰りに、廿日市の山の中の綺麗な集落の産直の施設で購入。
お米は、水で育つ作物なので、綺麗な地域の水で育ってるものが美味しいように思います。

瀬戸内の島

お盆に祖父母や先祖のお墓参りに行ってきました。
とびしま街道を渡って愛媛県の小さな離島へ。
陸路は広島県とつながっていますが、生活の軸は四国の一部として機能しています。

子供の頃、盆踊りで賑わった神社はひっそりと駐車場になっています。
祀られているのは大三島の大山祇神社の大山津見神の娘である木花之佐久夜毘売です。富士山の御神体と同じ。
島の裏側には、大崎上島と向かい合っていて、西方面から大三島に向かう水道を構成しています。その水道に面した岬に前方後円墳があります。

空き家となった祖父母の家はもちろん、集落の多くに生活の兆しは失われています。
子供の頃から年に何度も遊びに行っていた集落を歩くと、当時の顔見知りのおばあさんたちの声や笑顔が目に浮かびます。
何軒かの家から生活の音が聞こえてくると、ほっと喜びがこみあげてきます。

それでも島の若手の人たちは、ブランド鯖や、柑橘類の加工食材を活用したチャレンジをして未来につなげる努力をしています。
昔の記憶を大切に思うかぎり、今後も足を運び続けたいと思いました。

阿波踊りヨットレース

知人から以前から誘われていた阿波踊りヨットレースに、今年始めてクルーとして参加できました。
以前予定していたときは、レースそのものが中止になったり、仕事が忙しくて盆休みがなかったり、、、
噂に聞く楽しいレースとのことなので、すごく楽しみでした。
タモリに早稲田でヨットを教えた方が始めたレースで今回で46回目になります。

往きは同窓会とかぶったので、バスで現地に。
前夜祭、レース、広島に回航という4日の旅です。

徳島まではバスで一日二便、4時間。
県庁の前の川が、ケンチョピアと呼ばれる伝説の係留地になっていて、大会事務局も、ゲストの係留もそこになっています。
駅から歩いて県庁まで行く途中、阿波踊りが始まって二日目のせいか、夜のためにひっそりと息を潜めてる街の空気を感じます。

前夜祭では、野外で立食の後、奴連さんの踊りと、翌日のための練習がありました。
はじめての阿波踊りなので、かなり興奮気味。
その後、市役所前演舞場に観に行きました。
世間ではいろいろニュースになっていた総踊りは、この日の夜にあったようですね。
当日券をコンビニで買っていったのですが、自由席のみ。指定席には空席がありました。このあたりも改善の余地はあると思います。

レース当日は、暑く、適度に風が吹くコンディション。
60艇ほどの中で、最もレースに向いていない高級クルージング艇なので、制限時間までに完走することが目標。
ウミガメを見たり、下りでかなり吹いてパニクったりとかなりドラマはありましたが、なんとか完走。
そこでオーナーは帰っていったので、クルー仲間と阿波踊りに。

ヨット連という連で参加するようなので、ハッピを着て演舞場に行き、嬉し恥ずかしの初阿波踊り。
まさに、踊る阿呆そのもの。
いやー楽しい。

翌朝、3時半に真っ暗なケンチョピア発。
昨日の午後の風の状況から、この日も吹くことは予想してたけど、徳島港を出て紀伊水道に出て、猛烈な波、風、うねりに遭遇。台風が四国沖を通過したときの南風とそれが引き起こした波なのだろう。
鳴門の潮が止まる6時15分に通過することから逆算してるので、南から押されるように、2〜3mの波にもみくちゃにされて2時間。
落水すると見つからないだろうし、すくい上げることもできないだろうから、とにかく落水をしないように、雨の中をしがみついて見張り。
引き返しても、近くの漁港に入っても、いいことにはならないという判断で、予定通り鳴門を通過。
鳴門を超えると、水面は突然穏やかになり、なじみのある瀬戸内の景色に戻ってきた。

その後、弓削島で一泊し、母港である江田島沖ノ島に無事寄港。
20時間の船旅でした。

災害ボランティアについて

日本では、チャリティとボランティアが混乱して認識されているようです。
清らかな慈善活動という意味合いをもつチャリティは、キリスト教を背景とするもので、成果よりも行う人の精神性が重要視されます。
有閑夫人がバザーをする。みたいな。
ボランティアは、義勇兵を語源とするもので、自主性が必須の条件。自己責任能力のある人が、自発的に活動に参加することを意味します。

日本の自然災害では、行政が行う復旧工事は、原則道路や河川、橋梁など公共構造物が主。
被災した個人の家や宅地の復旧は、一義的には被災者本人がやるべきものとなっています。
災害ボランティアは、被災者本人の復旧を手伝うことが基本的な活動となります。

被災者の援助依頼と、ボランティアの支援を仲立ちするのが、ボランティアセンターですが、自治体や社会福祉協議会が主として行っています。
ここは、仲介するのが仕事なので、そこで何をするのか?は、行ったボランティアのグループが、依頼者の要望を元に作業を行うことになります。

災害ボランティアには、チャリティ的なイメージはほとんどなくて、変な慈善心で取り組む人は、ほとんどいないと思っていいでしょう。いても数十人に一人という感じ。
当たり前のように集まって、当たり前のように作業し、終われば帰っていくという、仕事をするために集まった極めて士気の高い集団という感じです。

いつ、どこで、どんな自然災害がおこるかわからない時代です。
毎年のように異常気象による自然災害も起こっています。
自然災害で被害にあった人を支える仕組みが、地元で機能するかどうかが、その後の復旧、復興の結果に直結するとおもいます。
ボランティアは、特別な慈善心の強い人がやること・・・という誤った認識が、この仕組の普及を拒む一番の障壁だと思います。