台風の進路の予測

台風が気になる季節です。
台風予想図は、いつも円形の中心予想位置が次第に大きくなっていってる図で、基本的には予想円の中心よりも右にずれながら通りすぎるケースが多いと思います。
広島の場合は、険しい四国山脈に遮られていますから南からやってくるものは基本的には四国でぶつかって曲がります。
豊後水道から北東方面に登ってくることもありますが、柳井〜岩国の山に当たって日本海に抜けます。
10年に1回のペースで、豊後水道から瀬戸内海に侵入したものが石鎚山と柳井にぶつかって瀬戸内海を東に縦断することがあります。これに恐ろしい被害を受けます。

近年、天気予報は民間に解放され、天気予報を行う機関が複数ありますが、台風に関しては気象庁のみにしかゆるされていないようです。
コースが気になる時。
オススメはアメリカ海軍(U.S. NAVY)の予想です。
ここの予想は、台風の中心位置をはっきりさせていますし、実際のコースも、気象庁よりも最終的なコースと近いように感じます。

今回の台風9号(MUIFA)は、南から北上し沖縄に近づいていますが、その後東に曲がるかどうか?現時点ではわかりません。
そういう時は、週間天気図を見ると参考になります。
一週間先の予想天気図には、台風がしっかり描かれています。
台風のコースは、台風しか描かれていないので進路のイメージが難しいですが、天気図は台風以外の低気圧や高気圧、前線が描かれていますので、実際の気圧の状況が非常にイメージしやすいです。
今回は、右に曲がらず、大陸に抜けていくということのようです。

この3つをみておくと、この太平洋で台風と共に暮らしてる気分を味わえますよ。

今年の広島はエジプトより暑かった。

今年の8月の暑さは異常でしたね。
とにかく、広島は雨がなく、非常に乾燥した暑さでした。
直射日光は激しく注いでいますが、風さえあれば日陰は過ごしやすく、これまでの蒸し暑い夏とはまるで違う暑さだと感じました。

なんとなくアテネのような地中海性気候のような暑さかな?
と思って調べてみた結果がこちらです。

          平均   朝の   午後の
     平均気温 最高気温 平均湿度 平均湿度 降水量
ローマ平年 23度  28度  84%    68%   20mm
広島平年  27度  30度  85% 71% 65%   100mm
アテネ平年 27度  31度  58%    61%   6mm
カイロ平年 27度  33度  85%    38%   0mm
台北平年  29度  32度  87%    72%   276mm
広島2010年 30度 35度     62%      5mm

広島の平年値は、ローマよりもやや暑く湿気ていて、台北よりもやや涼しく乾燥しているという感じですね。
今年の広島の8月は、アテネよりも暑く湿度はおぼ同じ。カイロよりも暑く、台北よりも暑かった。
という感じです。

降水量や湿度の傾向でも、やはりアテネが一番近いですね。平年よりも湿度は10%低かったわけです。
オリーブや柑橘類の生育に適した気候です。農作物は大丈夫なのでしょうか?

今回は、地球温暖化というよりも、太平洋の海水面の温度が原因だったようで、日本列島をすっぽりと長期間高気圧が覆っていて、台風もできない状況です。

瀬戸鉄工

僕が育った川尻町には、瀬戸鉄工という鉄工所があります。
ここの、「焼いりこ」は、カタクチイワシを高圧でプレスすると同時に加熱して煎餅状にしたものです。
愛用してる人、どこかで見かけたことある人も多いと思います。
かの白洲正子さんも、かつて愛用していたと雑誌でみかけたこともあります。

今朝の新聞に、旨み成分を入れることで、一般の塩よりも20%塩分をカットした「減塩 味ものがたり (海人の藻塩)」が紹介されていました。
塩分のとりすぎは体に負担がかかります。冷蔵庫の普及で、保存食品の塩漬けが減り、東北では心臓病が激減したという話がありましたね。

元々は普通の田舎の鉄工所のはずなんですが、、、
近くに友達が住んでいたので、建物には見覚えがあります。
社長がちょっと変わったアイデアマンなのかな?
うれしいニュースです。

川尻町とお隣りの仁方の間に、蒲刈に渡る橋がかかっています。
ここは、女猫の瀬戸と呼ばれる潮流の激しいところで、いい魚が取れるところだそうですね。
イリコといえば、小いわしを干したもの・・・というイメージですが、元々は熬海鼠。
干した海鼠のことなんですね。
日本は清からシルクや漢方薬を輸入するために、石見銀山の銀を使っていましたが、これが枯渇した後は、物々交換による貿易に切り替えようとします。
食にはうるさい清ですし、出汁を取るための乾燥物は非常に高価です。
フカヒレやツバメの巣など。
干し海鼠も非常に価値が高かったようで、川尻からも大量に出荷されたようです。
あまり知られていませんが、牡蠣の産地ではシーズンオフには中国向けの干し牡蠣をつくっているところもあるようですね。いい出汁が出るそうです。

この旨味産業を受け継いでいるのが、瀬戸内沿岸であり、この瀬戸鉄工ということかもしれないですね。
カルビーも広島発祥ですし、オタフクソースももちろん広島。
どちらも焼いた澱粉に旨味成分をからめて軽食やおやつにするというもの。
地域が伝統的に受け継いでいる文化というものは、煎じ詰めれば人の喜怒哀楽の感覚ともいえます。
この調子で、旨味産業を活性化させて、地域を豊かなものにしていって欲しいものです。

お米

Farm Garden 黄昏
日本不耕起栽培普及会

僕はお米が大好きです。非常に。
お米と少しのおかずがあれば基本的には満足です。
毎日のことなので、安心できるものを食べたい。
そう思って、ここ数年、伊賀の農家から玄米で送っていただいて、コイン精米所で精米して食べています。
去年知り合った友人で、大学の隣の研究室の後輩でもあるコーセイ君が、秋田で農家の跡を継いで、不耕起栽培で米作りをしています。
その不耕起栽培をトラストの方式でやるというので、今年から一口参加させてもらうことにしました。

不耕起栽培という農法が面白そうなので、昨日2冊本を読んでみました。

岩澤信夫さんの「究極の田んぼ 」「新しい不耕起イネつくり―土が変わる田んぼが変わる 」です。

素人なので、技術的なことはわかりませんが、、、、
戦後の高度成長の中で獲得した農業技術を否定することなく、逆に現代に必要とされる安全性や、環境に調和した技術を追求したということだと理解しました。
元々は、省力化と地力を生かすことを目的として、耕さない水田を研究していたのですが、機械で植えることや、雑草のことなどの問題を解決していくなかで、冬の間も水をはることに到達します。
不耕起水田専用の田植機も開発しました。

福岡さんも耕さない畑に、直接籾を入れた泥団子を使って稲を育てることをやっていたそうですが、インディカ米向きで、ジャポニカ米との相性はよくなかったようです。

日本には、水田による稲作の到来よりも古くから米があったとする遺物が出てきています。
おそらく、焼畑農業のような畑作による米の栽培だったのではないかと思います。
福岡さんは弥生以前の農法に近いのでしょうか。

水田による稲作は、天然の沼地で始まったようです。
雲南省あたりで里芋栽培をやってた人たちが、稲を沼の泥に植え替えて育てることから始まったとか。
畑作と違う画期的なメリットは雑草対策です。ベトナムでは、川の中に稲を植えていたので、当然水面からのぞいてるのは稲穂だけ。
船と水泳で農作業をやっていました。

岩澤さんがやってる農法は、人工的に管理されている田んぼを、一年中水を張ってる沼に変えて、微生物やイトミミズ、昆虫など生態系をつくることで、肥料や雑草、病気、冷害などに打ち勝つ強く荒々しい稲にしようということではないかと思いました。

これは、稲作や農業だけに関わる話ではなくて、建築や文化や生活、工業や社会にまで関わることが暗示されているように思います。
20世紀初頭に近代主義が生まれて、第二次大戦後に世界に広まりました。日本やドイツはその最も優秀な近代主義の生徒だったと思います。
第一次大戦以後、国家総動員体制で大戦に備えるために、日本やドイツは国を作り替えました。
戦後は、経済発展に、国家総動員体制を応用し、経済消費大国として今に至っています。

日本(や20世紀の経済消費大国)は、軌道修正を行うべき状況に至っていると誰もが思っていますが、まだ明確な方向を皆で共有出来ているとはいえません。むしろバラバラな方向を向いてる感じです。

岩澤さんの農法が面白かったのは、様々な無農薬有機栽培の人たちと違って、イデオロギーよりも先にリアリティがあるところ。
あくまで農家が生産量をあげて、経営を楽にするために、自然農法を選択しようと言うところです。
戦後65年の間、多くのものを捨てて、多くのものを獲得しました。
20年前に非効率的であるから捨てられた物は、現代では効率的であるかもしれない。
岩澤さんが苦心して開発した不耕起栽培の田んぼが、戦後に近代化された田んぼよりも優れていて、それが4400年前の天然の沼のようなものであるなら、テクノロジーがぐるっと一周りした感じで、非常に面白いと思うのです。