台風15号は要注意

長らく、台風による被害から遠ざかっていた広島ですが、次に到来する予測となっている台風15号の進路は非常に不安です。
過去、広島に大被害を与えた、1991年9月27日 台風19号、2004年8月30日 台風16号、2004年9月7日 台風18号とコースが非常に近い。
ここ数年、台風の進路には意識していますが、このコースは記憶にありません。

長崎辺りに上陸し、下関を通過した後に、日本海の島根沿岸を平行して走る台風は、広島に大きな被害を与えてきました。
下の予想気圧配置は、ヨーロッパのECMWFのものですので、ロンドン時間で描かれています。
日本の週間天気図でも、似たようなコースで、若干スピードが遅い。ただ、中心気圧はおちてるようですが、、、
日本近海には、台風の進路に影響を与えるような低気圧や高気圧はないので、台風の衰えるタイミングや、中心気圧、風速を注意しておいたほうがいいと思います。

ECMWFの予想では25日あたり、日本のバイオウェザーサービスでは27日あたりが広島に最接近するタイミングになっています。
10年に1度の台風にならないことを祈るばかりですが、備えあれば憂いなしの精神で、できる対処はしておいたほうがいいでしょう。

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1991年09月27日 台風19号

2004年0830台風16
2004年08月30日 台風16号

2004年0907台風18
2004年09月07日 台風18号

SEA TO SUMMIT

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今日の朝7時前にカヤックがスタートし、イベントが無事スタートしました。
僕達ヨットチームは、コースであるビーチと小黒神島との間にアンカリングして、カヤックが行き来する間、海上で目印となるだけの単純な仕事。僕は知人の船のクルー役なので、前夜の夕食調理が最大の仕事でした。
心配はよそに、去年よりも盛り上がってたと思います。
丁度、撮影チームのカヤックが乗船をしてくれたので、モンベルの担当者から一連のイベントの話も聞けてよかったです。

SEA TO SUMMIT という大会は、このモンベルの大会固有のものではなくて、世界中で行われてる一般的な名称だと帰ってから知りました。
SEA TO SUMMITという名前のSEA TO SUMMIT向けのアウトドアブランドもあるようです。

モンベルのサイトによると、、、

「海で発生した水蒸気が、雨や雪となって山に降り、川となって森や里を潤し、再び海へと還ってゆく…。
「SEA TO SUMMIT(シー トゥー サミット)」は、人力のみで海(カヤック)から里(自転車)、そして山頂(登山)へと進む中で、自然の循環に思いを巡らせ、かけがえのない自然について考えようという環境スポーツイベントです。

2009年、鳥取県の皆生・大山で初めて開催した環境スポーツイベント「SEA TO SUMMIT」。
各地域の自然や文化などの魅力を“まるごと”感じることのできる本イベントは、その後、全国各地に広がり、これまでに全国6カ所21大会を開催してきました。
そして、7年目となる2015年は、7カ所で開催します。

単にアウトドアスポーツを楽しむだけではなく、自分たちを取り巻く自然環境を再認識し、各地域固有の自然の魅力を知りうる機会を提供する、とっておきのイベントです。」

江田島で開催されるようになったのも、モンベルと懇意のある会社の方の親戚が広島にいて・・・ということ。
その会社は、東北の被災地のイベントでも真っ先に参加してくれるメンバーらしく、このイベントでも4人乗りカヌーで2時間近く掛け声を切らさず盛り上げていました。

海上目印もほどほどにして、来年は出場しようと!小さい声で話しあいつつ帰路につきました。

江田島 SEA TO SUMMIT 2015

去年に引き続き、江田島 SEA TO SUMMIT 2015が開催されます。
去年はしまのわの関連イベントだったので、告知も順調だったようですが、今年は広報の勢いが落ちてるような感じ。
カヤックとサイクリングとハイクの大会で、一人でも三人でも五人でも参加可能。
僕は当日、知人の船の上の目印となります。

etajima

聞き書 広島の食事

日本の食生活全集の広島県版である「聞き書 広島の食事」を読んでみました。
昭和初期の、広島県各地の食生活を取材し、写真もあわせて記録したものです。
出版された時期が昭和60年代なので証言もリアリティがあり、その当時の生活が目に浮かぶようです。
漁村や農山村など様々な生活が描かれていますが、どこも家庭も共通しているのが、農作業の大変さ。
両親だけでなく、祖父母も子供もそれぞれ仕事があり、一年の中で正月も含めて僅かな休日しか無いうえに、十分な米も食べることができず、一所懸命働いています。
先祖の皆さんの努力。ほんとうに頭が下がります。
当時の農家は、基本的には一部換金するものを除けば自家消費するものを生産し、それで家族が一年食べていくというスタイルです。
結果、計画的に多種多様な作物を作り、味噌や醤油、漬物をつくることになります。
生産と生活が家庭の中で完結するため、気候や植生と一致した暮らしが非常に興味深い。

聞き書 広島の食事 (日本の食生活全集)