日本民家園

鎌倉に行った翌日、川崎の日本民家園に行きました。
ほんとはお隣の岡本太郎美術館がお目当てだったのだけど、案内してくれた友人が是非お奨めとのことだったので。
こうした建築を移築した施設はいろいろありますが、明治村やリトルワールドのように観光地化しているものも多いし、ロケーションに違和感があるものが多いので、全然期待していませんでした。
しかし、広大な緑地の中に、上手に埋め込んでいるし、集めた民家も非常に多い上に、管理しているスタッフ(じいちゃんばあちゃん)のモチベーションも高く、非常に面白かった。
特に、日本の建築や空間と民族の伝来に関心があるので、民家という形で様々な地方の空間を見ることができたのは面白かった。

川崎市立日本民家園

民家園

「コミュニティとプライバシー」

しばらく前に古本屋で入手した「コミュニティとプライバシー」(鹿島出版会)を読んでみた。
1963年にアメリカで初版が出ていますから、学生運動が始まる前ですかね。アポロは1969年です。ちなみに僕が生まれたのは1968年12月ですから、この本が出て約5年後で、翻訳が出て2年後です。

シャマイエフは初めてだけど、アレキサンダーは学生の頃から気になる人で、講演会も一回聞いたことがあります。
この本が出たのはなんとアレキサンダー28才。翻訳した岡田新一はまだ事務所をつくっていません。

この本は、「毎月、デトロイトほどの都市人口が世界の人口に加えられつつあります。」と言う文章で始まります。
世界が膨張に次ぐ膨張を重ね、交通量も増え、過密と食料、エネルギーの不足に悩む状況が背景として存在しています。無計画な膨張が、多くの不幸な環境を生んでいるが、従来の土木的な都市計画でもない新たな視点をなんとか成立させようという意気込みを感じます。
僕が建築を学んだ84年から91年までの期間は、まさにモダニズムの自滅とポストモダン、バブル経済とその崩壊という一連の時期でした。さらに言うと、東大陥落時に産声を上げ、物心ついたときには大阪万博失敗とオイルショック、とカープの初優勝。小学校ではスタグフレーション(成長なきインフレ)を学び、造船不況を乗り越えて、建築を勉強することになったのです。

この本は、そうしたモダニズムがゆらぎ始めた時期に、新しい芽が誕生し、それが次なる枝になろうという意欲を感じられるものです。図やテキストをコラージュし、断片化されたコンパクトな情報によって、単一のストーリーとして編集することを避け、全体を知の構造体としてくみ上げる手法は、アレキサンダー特有のものを感じます。

その頃からまだ40年しか経っていない日本は、いかに人口減少を食い止めるかということが最大の課題になっています。
課題であった膨張する地域は、先進国から途上国に移りました。
都市というものの課題がいかに移ろいやすいかということも、改めて振り返るとやはり新鮮です。逆に言うなら、40年後には当然まるっきり違う課題が僕たちの廻りには誕生しているはずですが、今の日本のような課題を持つ地域がどこかにあるということも予想できます。
課題というものは、過ぎ去ったものは単なる歴史的事実として知ることも大切ですが、課題とその対策として普遍的な知識や、対処のパターンとして知っておくことも必要ですね。

このころは、建築家は都市レベルの課題を常に考え、行動していました。
現在は、建築の表層を考えるという小さな役割に満足しているように思います。○○イズムというものに、乗っかるとろくなことにならないと、ポストモダニズムに乗っかった人たちがそうした流れを作ったのかもしれませんし、現代の社会では役割分担がはっきりしすぎたので、都市レベルの話は不動産屋が専業という話になったのかもしれません。

最後に、人口膨張という課題は、終わったことではなく、実はこれからが本番となります。
日本だけ考えれば、隠居後の生活が最大の問題という感じもしますが、今後は世界がより密接に繋がりますし、日本と特に近い地域が爆発しますので、人ごとではないですね。
そうした意味でも面白い本でした。

大分紀行 その3

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長湯温泉に到着。歩いてラムネ温泉に。
建築の輪郭が見えてきただけで、嬉しくなってきます。
藤森さんの建築のおもしろさは、独特のフィニッシュの感覚ですね。
普通の建築家だったら、体操の鉄棒の着地のように、ピシッときめようとするのに、藤森さんは(赤塚不二夫のシェーといったら怒られるから)宮崎駿の理想郷のようなフィニッシュになってる。
風の谷のモデルは、フンザだし、藤森さんの生まれた諏訪も高地だし、原空間は近いのかもしれない。
焼杉と漆喰と銅板の建築。のびやかで、ユーモラスで、直線が無い。いい建物です。
焼杉はいいですね。うちの外壁も当初は真っ黒に炭化した焼杉が候補でした。5〜6年前から、炭化した焼杉を使いたいと思っています。
半年前にフットサルで痛めた足の痛みが取れました。恐るべしラムネ温泉。

大分紀行 その2

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大分市内に行くのは学生の時以来でした。高専の研究室のゼミ旅行で大分〜湯布院を廻って以来です。
その後ニュースで聞いたとおり、磯崎さんの大分県立図書館が、解体の予定が撤回、保存されアートプラザ(磯崎建築美術館)に。隣の医師会館は更地になっていました。
アートプラザは、うっすらと薄化粧され綺麗になっていましたが、荒々しい打放しのままのほうがよかったですね。
コンクリートはデリケートな材料だから、どうしても汚れるし、表面が荒れてくる。それに打ち勝つだけの形かどうかが、真価を問われるわけだが、このアートプラザはとてもいい建物です。現代美術でもチュービズムといってチューブがいろいろ流行っていましたが、これもしっかりチューブしてます。残って良かったですね。

その後、長湯温泉に向かうが、途中で伊東さんの庁舎を発見。

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