大分紀行 その1

宇佐神宮

連休は大分に行ってきました。
最初は三重のチリダ展に行こうと思ってたのですが、連休中に関西方面をうろうろすると、渋滞に引っかかりそうだったので、チリダ展は鎌倉に行くことにしました。
それで大分に行くことに。。。最大の目的は、藤森さんのラムネ温泉。

昔から、瀬戸内の文化圏のことは気になっていました。
主要なポイントは入り口の宇佐、途中の宮島。中継地点の大三島、讃岐、終着点で仁徳天皇陵がある堺又は住吉大社の大阪。特に宇佐は、天皇一族が九州に渡来し、その後宇佐から近畿に移動し、その後も防衛拠点として整備された土地。
ということで、大分の歴史の本を片手に出発しました。

夜の間に国東半島に渡りとりあえず一泊。石仏など仏教関連の遺構が多い地域だが、当時の仏教の伝来元は新羅。彫刻の技術もそちらから伝わったものだろう。元々彫刻の技術は、アレクサンダーが東洋にもたらし、半島を経由して日本に渡ってきているが、百済系の女性的な曲線(曲面)美と、新羅のハードな力強さはどちらも日本の文化にうまく解け合ってる。
国東〜宇佐は、新羅、百済、出雲文化とも関係が深く、海洋民族との関係も深い。
出雲は新羅(辰韓)出身のスサノオのつくった国で、宇佐神宮の八幡神社は源氏の神だが、源氏も新羅出身の一族。
しかし、白村江の戦い以降、新羅や元の侵略を防ぐ防衛の中心となったのが宇佐神宮。調べればいろいろ因縁がありそうだけど、今後の課題にしよう。
豊前、豊後はなかなか奥が深いということだけ認識して移動。

食卓が完成

林家食卓

住宅は去年の11月に竣工したのですが、それから食卓のオーダーをしました。
そして先週到着。
家具作家はa-un洞の兼清さん。
いろいろわがままな注文も、気持ちよく聞いてくださって、いい家具をつくってくださいました。
軽やかで安定感があり適度な広さと高さで威圧感も重厚感もなく、建築に即なじむ柔軟さあり。

原爆資料館など国重文へ指定

原爆資料館など国重文へ指定

広島の原爆資料館と世界平和大聖堂が重要文化財になるという。
どちらも作家が亡くなった上に、建設当時の関係者も次第に少なくなってゆくだけに素直に嬉しい。時期的にも適切な判断だったと思います。
大規模な木造にくらべて、コンクリートによる建物は耐久性は著しく低いですから、保存や維持を進めて行く上でも、重文指定はよかった。

この二つの建物は、まるっきり違う二人の建築家による建物で、非常に因縁深い関係にあるので、同時に、、、というのも良かった。先日行った倉敷も、丹下さんの元市庁舎が美術館になっていて、その道路の向かい側は浦辺さんの建物群が建ち並んでいる。
戦後の建築の二大潮流が同時に味わえるというのも、実はなかなか難しいことなんですよ。

できることなら、村野さんの世界平和大聖堂は、なんとしてでも残し続ける努力をして欲しいし、丹下さんの原爆資料館は、時期が来れば全く同じ形で作り替えて欲しい。伊勢神宮の式年造営みたいに。

建て方

tatekata.JPG

運良く雨が上がって、本日、自邸&事務所の建て方を行いました。
木造でも鉄骨でも同じですが、この日にフォルムが現れ、ロケーションの中に初めて建築の原型が現れてきます。
人間で言うと、とりあえず誕生し、まだ名前が付けられていない状態のようです。

構造は隠すことなく屋内に出てきますから、構造はかなり気を遣ってデザインしました。
計画通り非常にスリムに立ち上がっています。