屏東市

次に目指すのは、原住民族の住む山奥の集落ですが、許可書なく入山できるようになったのは、最近のことです。が、バスが一日に数往復しかしていないので、朝一のバスに乗るために、ターミナル近くのホテルに前泊。
日本語の上手なおばあさんのいるホテルとしてある意味有名なので、帰りに呼び止められて、ヤシのフレッシュジュースをごちそうになって、しばし日本語でお話できました。

日本統治時代の建物をリノベしてるカフェや本屋さんがあるので、自転車を借りて1kmほど中心部に向かって走る。それらしき古い建物を改修してたので、このあたりかと思ってぐるぐる回るが、改修中の建物だらけ。
調べてみると、目的地の途中。
目的地に向かって走り始めても、改修中の日治時代の建物の改修現場だらけ。
とりあえず本屋さんに行くが定休日。
しかし、関心は改修現場へ。

この大量の改修工事は何?どんな内容の工事?建材は?構造は?
気になったので、現場に入って大工さんに身振り手振りで、ちょっと観ていいか?と聞くと、いろいろ喋ってくれたが、当然お互い理解できず。
こっちへ、、、と言われて、そのままついていくと、監理事務所に。
そこで英語のできるチーフらしき人物(名前は聞きそびれた)が、一通り案内してくれることになった。気遣いに感謝。

1920年代から30年代にかけて建設された軍の官舎が、142棟存在している。庭付き一戸建てですべて平家。将校向けの高級住宅街だった感じです。そのうち71戸を3期に分けて復元工事をしているとのこと。
工事費は1戸あたり2600万~4500万円程度。
屏東市金持ちだね~というと、国の文化部門が8割出してくれるとのこと。
これといって建築的な価値が乏しい社宅を大量に復元するというのは、かなり不思議な感覚です。
日本でも昭和初期から戦後、高度成長期、もちろん現在でも大量に建設される社宅はあると思いますが、数十億かけて復元するというケースは聞いたことないです。なんの躊躇もなく壊されていると思います。建築的価値があるものですら、当たり前のように壊されているので。

確かに、台北や台南に行ったときでも、日治時代の公共建築や工場や社宅などをリノベーションして、文化創造園区にするケースがあり、台湾では流行ってると言っていいと思いますが。

活用の目処を聞いてみましたが、現在の勝利星村創意生活園区と同じようなカフェや書店、資料館なのではないか?という話なので、特別な目的が有る訳ではなさそう。
一期工事は今年12月竣工、全て完成するのは2~3年後のようですから、ぜひ再び屏東市に行ってその後の展開を是非見てみたいと思います。

枋寮

恒春半島から屏東に向かう途中、枋寮でバスから列車に乗り換えました。
枋寮はかつては鉄道の執着駅として有名な土地で、今もここから南の恒春半島、東の台東方面の中継地点として今でも機能しています。
恒春半島も屏東市も、ここ枋寮も屏東県という広い県のなかに位置しています。
屏東県は、昔から主にパイワン族の居住しているエリアで、町を行き交う人や、店の店員、様々な職員などは、マレーポリネシア系の顔立ちの人がすごく多かったです。テレビを観たりすると、画面に映ってるのは、外省人と思われる北京語をしゃべる漢族が中心で、原住民的顔立ちの役者やタレントはほとんど観ることがない。不思議な違和感です。

四重渓から車城でバスを乗り換えて、枋寮に行ったのですが、バス停で待ってると白タク風の若者から乗らないかと持ちかけられる。白タクの相場は、Uberの6掛けくらい。Uberの手数料を引いた金額より少し安めか。

この地方は、幹線道路からも鉄道からも、開けた田園地帯が広がっています。が、川はすべて干上がってる。豪雨のときだけ流れているのだろう。雨季と乾季がはっきり別れている熱帯の気候のせいでしょう。
水面が延々と広がっていましたが、日本向けのうなぎの養殖池のようです。簡単な池に水車で水をかき回すだけの簡単な設備です。とても水を入れ替えるようには見えない。
樹木が林立しているエリアは檳榔。これも延々と広がっています。
実際、檳榔中毒の人はやたら多く、街の道路は赤い跡や、繊維質の果実のカスが道路にはたくさん転がっていますし、バスの運転手や商店のおじさんおばさんは、一日中噛んでる感じ。歯茎は後退し、歯がスカスカになってるのに。

枋寮につくと、先ず漁港に向かう。シラスのオムレツが美味しいとのことだったのですが、見当たらず。漁港でいくつか買って日陰で食べる。
このあたりの漁船は、曲げたパイプのようなものを束ねて船体を作り、その上にすのこを置いてデッキにしている形態のものが多い。とくに枋寮は海保の船以外はすべてパイプ船でした。
材質が気になったので、造船所を覗いてみましたが、どうやら専用の塩ビ管。
古い絵葉書を観ると、昔は竹で作ってたようですから、竹を塩ビ管に置き換えただけのシンプルな構造。これは、コストだけの問題ではなく、サンゴ礁などがあって、座礁の可能性があるエリアなので、沈没の可能性の少ない船型としているのかも。

漁港でマンゴーも売っていたので、カットしてもらって一つ食べる。10元(37円)
駅に向かう途中、台湾版食べログのようなアプリで、かき氷屋を探す。
港伯豆花でマンゴーかき氷を食べた。マンゴーのアイスクリームを削ってかき氷にした上に、マンゴーの大きな塊を全面に載せてるもの。台湾でのマンゴーかき氷の定番と言えるものですが、生涯で一番美味しいかき氷でした。90元(340円)
このあたりは、マンゴーの産地でもあるので、安い上に美味しかった。豆系のものも美味しそうだったが、お腹いっぱいでチャレンジできず。

四重渓温泉

台湾の温泉もちょっと体験してみたい・・・と思って、台湾四大温泉地の四重渓に行きました。
恒春からバスで数十分という位置。
日本統治時代の温泉旅館が今でも営業しています。
四重渓温泉清泉 日式温泉館
台湾が日本領になってすぐ日本人憲兵の高橋さんが発見して、2年後には開業した山口旅館が、戦後清泉旅社となって今に至っています。開業から122年。
高松宮殿下新婚旅行で宿泊した部屋が保存されています。
日式ということですが、台湾式と半々といったことでしょうか。

宿泊棟は、池のある中庭を囲む回廊からアプローチする形式です。
大浴場は露天風呂のみ。水着着用で、加温かけ流し。スイミングキャップはフロントで借りることができます。
アルカリ性炭酸泉で、あっという間に足の裏まですべすべになりました。
夕方に一回、翌朝早くから一回入浴。鄙びた温泉地なので、特に混雑することもなく、入浴できました。

街にはここ以外の温泉宿が一ヶ所、公共浴場が一ヶ所、工事中の温泉公園、そして小さな通りが一本。羊料理が名物の食堂があります。

恒春半島

たまたま検索したら、高雄行きのLCCのチケットが取れたので、長期の連休は8日ほど台湾南部に行ってきました。

今回のテーマは、台湾最南端、山岳地帯に住む原住民族、高雄の現代建築を観ることなど。

南部の恒春半島あたりは、海に面する絶景と都市部から離れた環境条件から、マリンリゾートとして特異な雰囲気です。かつては陸路も十分でなかったようで、北中部の平野の都市とは隔絶されたような土地。
玉ねぎの産地で、ちょうど出荷時期のタイミングで、レストランでも玉ねぎが美味しかった。炒め物にいりこを使っていたり。味付けが薄味で、素材の味を活かしたものばかりで。

恒春

清の時代に作られた城壁の残る恒春は、台湾の地方の集落の雰囲気があり、リノベカフェや、独立書店もあって、コンパクトないい地方都市でした。
空港からのバスから降りて、先ず水餃子。そして散策。城壁や城門で町を囲み、常に賑わいが絶えないいい雰囲気です。清朝最後の城郭都市。
恒春は、明治初期に日本との軍事衝突があったために作られた城です。首狩族であるパイワン族に、宮古の漂流漁師が捕獲され、大量殺害されたこと(宮古島島民遭難事件,牡丹社事件)がきっかけだったようです。それがきっかけで、外交交渉となり、台湾の領有が清、琉球が日本との合意につながったようですから、東アジア史的には非常に大きな出来事だったわけです。白洲正子さんのおじいさんがこのとき活躍し、後に初代台湾総督になっています。

南湾

ビーチに面する南湾という集落の宿に移動。このあたりは、大正時代に日本の捕鯨の拠点があった場所でした。4月でも気温は30度超えてるので、海水浴は可能。
ただし、シーズンではないので、どこもオフな感じ。飲食店も少なく、朝食屋もない。繁盛してるのは、西洋人の客が常にいるピザ屋と、ボサノバという名前の西洋料理の店。今回はパス。アジアにいる西洋人は、西洋人向けの店にしか行かない説。

日本で例えると、、、ミニ沖縄、ミニ宮崎といった感じのエリアなので、水族館が観光の核になっています。国立海洋生物博物館は大きなジュゴンと、たくさんのペンギン、巨大な昆布が目玉です。行政が整備する観光施設は、子供の教育に力点を置いているようで好感が持てます。
ダイビング屋さんもたくさんあるので、サンゴ礁の海に直接潜ったほうが楽しいかもしれない。

バスは整備されていますが、何かと不便なので、スクーターのレンタルで廻るのが基本のようです。日本と台湾は国際免許の条約が違うので、何かと面倒。なので、無免許で乗れる電動スクーター二人乗りで移動しました。取り外し式のバッテリーを2台設置し、空になればケーブルをつなぎ替えるという仕組み。
24時間で800元(3,000円程度)でした。最高速度は30km/h程度、上り坂では10km/h。自転車と同じ扱い。

鵝鑾鼻半島

鵝鑾鼻(がらんぴ)という名前は、太川さんと蛭子さんが路線バスを乗り継ぐ番組で連呼してるのが耳に残っていたので、気になっていました。番組では時間内に到着できなかったのですが。
宿から鵝鑾鼻までは13kmくらいで、途中に立ち寄りながらの電動バイク初体験でした。車とはスピードが違いすぎるので、自転車専用レーンがないと怖い。
湾岸の眺めは素晴らしい。
南はバシー海峡で、フィリピンまで250km程度。台湾の北から沖縄本島までよりも近いです。もちろん目視はできません。民族的にも台湾原住民族とフィリピンはつながりがありますし、この二国の近さは予想外でした。
戦前も、アメリカがフィリピンを侵略したのも、中国への足がかりでしたし、日本も台湾をてこに東南アジアへの進出を図りました。その先にある南シナ海では緊張感が。。。
かつての日本最南端の地という事も含めて、いろいろ勉強になります。