台湾の原点 安平

台南市の海に近い郊外にある安平区は、オランダが要塞をつくり、そのあたりの地名から台湾という名前にも発展した町です。
台南市の一つの郊外のエリアかと思っていましたが、行ってみると一つの独立した町という印象でした。
安平にオランダが拠点を作り、その運営のためにオランダが清本土から人を移住させて、いわゆる城下町をつくったのです。
米国に例えると、英国人の最初の入植地のようなものでしょう。
そのせいか、観光客も非常に多かったです。

安平の中心となっている旧ゼーランディア城は、明→清→日本→中華民国と主が代わり、形状や規模も変わり、安平古堡として観光地になっています。
オランダが作ったレンガの城壁は、一部が残っていましたが、焼成温度が高かったようで、存在感を保っていました。
台湾が、長く大陸や、欧州の上陸を許さなかったのは、原住民にたくさんの種族があり、それぞれが好戦的で、かつ統一されることがない状況が続いたことが原因でしょう。
日本でも、倭国の大乱と言われる時期があり、魏志倭人伝に記載されていますが、大和朝廷が成立し、統一王朝が中心となって、外交や徴税や行政、防衛を行って、発展してきました。
日本の歴史に例えると、弥生時代が江戸初期まで続いて、そこにいきなりペリーが来た。その要塞を藤原純友が包囲して追っ払ったという感じですね。
そういう歴史的な決定的な舞台が、ここ安平だったのです。

当時の城下町は、オランダが火災を防ぐために煉瓦造としたために、建物は残り、安平老街として雰囲気は残っています。
カフェやショップなどに活用されつつあり、今後更に魅力を増していくと思います。

美食とリノベーションの街 台南

去年、台北に20年ぶりに行って、宜蘭と台南にも行ってきました。
台湾は小さな国でありながら、建築など文化に対する意識も高く、国民性もいい。人柄もよく、食べるものも美味しい。
漢民族の国はいくつかありますが、唯一の民主的な国です。元首は女性の蔡英文さん。魅力的な人物です。
なぜ台湾は、こんなにいい国で、こんなにいい人たちなのか?
もっと台湾を知りたくて、台湾の原点というべき台南に4日ほど行ってきました。

台湾は、日本統治時代の建築をリノベーションして、文化施設や、商業施設として活用するのが活発化しています。
寿司屋やラーメン屋は珍しくありません。日本が大好きなんでしょう。
台南は旧市街には新しい建築が建つこともすくないせいか、特にリノベーションが盛んに行われているように思います。
そして、台南といえば美食。
一青妙さんなど多くの日本人が、伝道者として多くの店を紹介しています。
どこも、地元の人達に長く愛されている店。

台南は古都と言われていますが、長く原住民だけが住む島でした。
日本からも、豊臣秀吉や徳川家康が貿易のための使者を送っても、要領を得ず手ぶらで帰国してきています。
オランダが、安平(台南)に要塞を築き始めるのは、日本では大阪夏の陣と島原の乱の間くらいの時期。
メイフラワー号が北米大陸に到着したのもその時期なので、アメリカと同じくらいの開拓の歴史とイメージすればわかりやすいです。

初日夕方に、台南の市内に到着し、かつての城壁の後に道路となった西門路を北に向かう。
繊維店が多い西門市場に隣接する正興街が目的地。
その正興街は台湾の若い人たちに人気の店ができている街です。
その入口あたりにある正興珈琲店が初日の宿でした。
荷物をおいて、正興街、神農街をぶらぶらして、康楽街牛肉湯を食べて、台南最大の花園夜市。

二日目は、早起きして盛牛肉湯、国華街で朝食。
二日目からは、興居台南に宿を変えます。
その後台南市内をぶらぶら。
夕食は阿霞飯店で蟹おこわ。

三日目は、朝早くから安平へ。
安平で丸一日
夕食は筑馨居。

最終日は、国華街で朝食、水仙宮市場でぶらぶら。
買い物しながら駅に向かって帰国

というコースでした。
非常に充実した4日でした。

宜蘭の建築

宜蘭という町は、かつて客家が切り開いた町で、当初は円形の城壁で囲まれていたようです。
先住民と闘争しながら、開拓したようです。その名残で旧市街の境界をぐるっと円で囲む道路が残っています。
地図を見ると、近隣にいくつも円形の道路で囲まれたエリアが有ります。

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日本統治時代に、米の生産地として成長したようで、統治時代の地図もあちこちでみられました。

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その後2日にわたってフィールドオフィスアーキテクツの作品めぐり