伊勢・志摩

昨年末に、伊勢志摩地方に行ってきました。
伊勢といえば伊勢神宮。
伊勢神宮は、日本建築洋式のルーツの一角を担う興味深い建築なのですが、残念ながら一般のルートでは建築そのものを眺めることはできません。
しかし、内宮、外宮それぞれの近くに、アマテラスの弟である月読のミコトを祀った月読宮(月夜見宮)があり、ここも伊勢神宮のように式年遷宮を行う神社ですので、伊勢の建築様式に触れることができます。
年末でしたが、内宮も外宮も大変な人でしたが、月夜見宮はどちらも数人しかいなくて、すっきりとした空気感と、美しい建築を体験することができました。
アマテラスが太陽で月読が月。スサノヲが大地といったところです。
神社建築が作られるようになったのは、仏教と仏教建築が輸入された時で、仏教に対抗して作られたと思います。
それまでは、地鎮祭のように仮設の祭壇をつくってお祀りをしていたようです。

本当に重要なのは、建築ではなくて建築の中にあるイメージのようなものです。
20年に一度建て替えるいわば仮設であるから、建築や浮世がはかなく、逆にイメージが強く印象づけられるという仕掛けだと思います。
建築をつくること、建築を建て替えることを考えさせる面白いイベントですね。
内宮と外宮、月読宮(内宮の近く)と月夜見宮(外宮の近く)の4箇所意外に、近隣にも式年遷宮する神社がありますので、常にどこかが建築してるという状況です。

銀閣

先日、NHKで銀閣の番組がありました。
「銀閣よみがえる~その500年の謎~」

解体修理をしていた銀閣の修理中に明らかになったいくつかのことをレポートしています。

庭については、安土桃山時代にポルトガル人が伝えた欧州のルネッサンスの設計思想が反映されていると言う話があったので、今回、附属建物の配置や池の形が違っていたと言うのは書物で呼んだことが有りました。
興味深かったのが、2階の外壁に塗られた白土です。
銀箔という噂もありましたが。
漆喰が使われるようになったのは、海藻の糊が普及する関ヶ原以降のようなので、当時は白い土を塗ることで銀を思わせる白い壁を作りたかったのでしょう。

谷崎潤一郎のエッセイにも有りますが、金も銀も、闇の中に浮かべて楽しむもの。
一階の書院から東に池が広がっています。月夜には、銀白にわずかに光る2階の菩薩堂が池に映り、月と一緒に静けさの美を表現していたと思います。
現在は銀閣は黒く深く沈み、銀沙灘が夜は銀色に輝いていますが、昔はそれが銀閣の建物の上下で同じ気配がしていたのでしょう。

銀閣は、現在至るCoolBeautyの象徴的な建築であり、世界観です。
一休宗純-村田珠光-千利休-小堀遠州—と、日本の美の本流と言うべき出発点でもあります。

学生時代から何度も観てきた銀閣ですが、改めて眺めてみたいと思います。