白鳥伝説

白鳥伝説 谷川健一

白鳥と古代の伝説の関連に興味があったので読んでみました。
白鳥といえばヤマトタケルノミコトが有名ですが、彼が征伐した部族の土地は、いずれも金属が採掘できる土地だったといわれています。
白鳥と金属採掘民(もののけ姫のエボシ御前達)とのつながりは、古代史の空白を埋めるキーワードのような気がします。

この本は、かなり幅広いアプローチから白鳥伝説と物部氏のつながりやその次代を描いています。
いきなり面白かったのは「日下」(くさか)のこと。
「日下」と書いて「くさか」と読むのは、国語学的にも理由は解明されてないそうです。
谷川さんは、大阪の日下あたりに奈良王朝の前の王朝の首都があったとの仮設を立てます。
ちなみに、日本という国号がつくられたのは律令や日本書紀が整備された時期ですが、その前に、中国の書物に、日本のことを「日下」と記述があったそうです。
倭→日下≒日本
と言う感じです。
日下も、日本も、どちらも「ひのもと」
つまり、太陽が昇るその足元という感じの意味でしょうか。
ちなみに日本人は、古来、朝日を愛で、朝を告げる鶏を神聖視していました。(江戸時代末期までは、日本人は鶏を食べなかったのは神聖視していたからだそうです。)

奈良王朝の前の物部政権は、大阪の日下の草香(ひのもとのくさか)を首都にして、白鳥を神聖視していたということのようです。
ひのもとのくさかが省略され、日下が「くさか」と呼ばれるようになったとか。
なるほどです。
縄文的文化と、弥生的文化の中間に、物部系の山のタタラ文化があり、縄文的なものと弥生的なものの混ざった文化が白鳥と共に日本全土に残ってるというのも面白いです。

建築の歴史では、桂離宮や伊勢神宮的なすっきりとした世界観と、日光東照宮的な猥雑な世界観があり、二つの大きな流れが、ロープのようにねじれつつ一つの流れになって今に至ってると感じます。

金閣寺の燃やし方

聞き捨てならないタイトルだな・・と思って読み始めました。
軽く不謹慎なタイトルのこの本を書いたのは酒井順子作。
「負け犬の遠吠え」の人です。

三島由紀夫と水上勉が、生まれたときの記憶の記述から始まり、かなり期待感を高めてくれます。
美しい物を炎上させるという美の形を描いた三島と、炎上させた坊さんの人生に自らの半生を重ねる水上。
祖父の代から官僚で自分も学習院出身の元大蔵官僚の三島。
口減らしのためにお寺の小僧さんとして家をでた苦労人の水上。
二人の作家と生き方を投影する作品として一つの事件を描いている。
最初の一章を読んで、わくわくしてきました。

水上勉は母が好きだったので、子供の頃から馴染みがある作家です。
三島は今も昔もあんまり興味ないですが、一度真面目に読みたいと思っていた。

この本はとりあえず横において、三島の「金閣寺」と水上の「五番町夕霧楼」をまず読もう。
読むと京都に行きたくなりそうな予感もします。

「日本辺境論」内田樹

内田樹さんの「日本辺境論」を読んでみました。
日本は辺境であり、日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できる・・・という日本論です。

具体的なエピソードも多く、非常に読みやすく、深くうなずいてしまう所も多く、あっという間に読んでしまいました。

僕は15年ほど前から、日本とは何か?という答えの無い疑問を解明すべく、いわばライフワークのようにいろいろ見たり考えたりしてるのですが、、、
この本の初っぱな23ページ目に、、、

「私たちが日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかについての洞察を組織的に失念するのは、日本文化論に「決定版」を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが日本人の宿命だからです。」

とあります。
地球が半永久的に太陽の周りを回るように、日本人は日本人論を繰り返し繰り返し問い続けるのです。
この回帰性が逆に日本の特徴だという話。

20年ほど前に、大学の卒業設計で、色々考えて一つのプロジェクトを行いました。どうも納得いかなくて、短時間で二つ目の設計を行って完成させました。その両者に共通するテーマが、循環性でした。
循環する大きなシステム対して、カーブボールを投げるようにひねりを加える小さな作業が、都市に建築をつくること。ということを表現したかったのだろうと、今になってみれば客観的に考えることが出来ます。

この本の、若干自虐的な知識人的文体は気になりますが、非常に楽しめて、為になるうえに、表現の巧みさを感じることができる、いい新書でした。

マルガリータ

盆前に、村木嵐さんの「マルガリータ」を読んで、ぼろぼろ泣いてしまいました。
天正少年使節4人のうちの一人、千々石ミゲルが主人公です。
歴史と社会の大きな歯車に、4人の少年が踏み潰されつつも、共に誓った約束を守るために・・・・という話です。
大きな悲劇を扱う話では、善悪を明確に決めてストーリーを構築することで、読者の負担を軽くすることが多々有りますが、この話ではローマ法王も豊臣秀吉、徳川家康・・も皆、政治家としての政治的判断で悲劇の引き金を引きます。
重くて悲しい話なのですが、泣き終えたらすっきりする読後感。

構成も確かで、ストーリー展開も巧み。
最後まで謎を引っ張ったままでフィナーレを迎えます。
千々石ミゲルの最後の言葉の謎は、明かされず仕舞い。
手塚治虫であれば、これを漫画にできるかも・・・と思いました。

どんな人だろうと・・・思って調べてみると、、、
女性。千々石ミゲルと二人の女性の関係が軸なので、そこは非常によく描けていました。
1967年生まれ。ひとつ先輩です。
なんと司馬遼太郎の最後のお手伝いさんで、現在は奥様の秘書をされているとか。
納得です。
司馬家お手伝いからデビュー 「マルガリータ」で松本清張賞受賞の村木嵐さん

歴史系のドラマや小説は、どこまで史実でどこから創作か、気になるところですが、、、

「天草の乱が鎮圧されてから約八ヶ月後、マカオのマノエル・ディアス司祭がイエズス総長にあてた書簡より。
《有馬のキリシタンはキリシタンであるが為に殿から受ける暴虐に耐え切れず、十八歳の青年を長に選んで領主に反乱を起こしました。その青年は昔ローマへ行った四人の日本人の一人ドン・ミゲールの息子であると言われています。彼らは城塞のようなものを造ってそこに立てこもりました》」

つまり千々石ミゲルの息子が天草四郎時貞だったとイエズス会に報告しています。
千々石ミゲルの棄教のことは当然イエズス会は詳細を把握しているはずなので、間違えてるということは無いと思います。
イエズス会を退会し、裏切り者の烙印を押された千々石ミゲルの息子が、天草四郎。この落差を、「マルガリータ」はしっかり埋めきったと思います。
次の作品をぜひ期待したい。

「龍馬伝」でも、耶蘇教(耶蘇会)の話が出てきています。
耶蘇会とはイエズス会のことです。
イエズス会は、広島には村野藤吾設計の世界平和大聖堂があります。
安土桃山時代の日本で切支丹があれだけ広まったのは、貿易による利益だけではなく、イエズス会の布教の情熱と清貧さにあったと思います。
イエズス会は、バスク地方の狂信的な傷痍軍人が始めた教団で、司馬遼太郎の「街道をゆく〈22〉南蛮のみち 1」がかなり詳しく書いています。

カソリックの征服や聖戦、殉教の感覚は、なかなかわかりづらい感覚だと思います。
現代でも、911同時多発テロや、アフガンへの報復、イラク戦争など、キリスト教徒とユダヤ教徒、イスラム教徒の終りなき争いは、日本人には無い感覚だと思います。

塩野七生さんの「絵で見る十字軍物語」が面白いです。
これから十字軍の物語を書いていくようなので、その序論として、ギュスターブ・ドレの絵に解説をつける形で全体像を描いています。

第一回十字軍が始まったのが1096年。平清盛のお父さんが生まれた年です。
このころは、地球温暖化が激しかった時期で、モンゴルが世界征服に着手する100年前です。
第十会十字軍が終わったのが1291年なので200年間も征服事業を行ったわけで、これが、レコンキスタ終了後(1492年)のコロンブスの中南米発見と征服、そして世界征服という流れになっていき、日本にイエズス会到着が1549年。
天正少年使節がローマ法王に謁見したのが1585年。島原の乱が1637年。
千々石ミゲル達が、懸命にさからったのは、十字軍から540年の巨大な歴史の歯車だったわけです。