短い2月

ふと気づいたら2月は今日でおしまいでした。
やっぱり2月が終わるには早いです。
現在、世界で使われてる暦は、ジュリアス・シーザーとクレオパトラが合体して、太陽暦と太陰暦も合体させて今に至ったようです。
元々は31日の月と30日の月が交互だったようなのですが、、、
シーザーがわしの月を作れと言って7月(July)に割り込んできた。
その後、アウグストゥスが8月(August)に割り込んできた。いづれも31日にして、2月から日にちを取ってきたので、元々30日だった2月が28日になってしまったとか。8の月(October)が押し出されて10月に。
早く春がきて欲しいので、2月が短いのは大歓迎なのですが。

忍者と八百長

相撲と八百長の報道も、少し落ち着いてきたようです。
相撲がそれほど好きじゃない人ほどヒートアップしてるようですが、こういう問題は、そのジャンルを愛してる人たちが、決着を付けるべき問題だと思います。
八百長が悪なら、日本で行われてる膨大な会議はみんな悪になります。
最初から結論が決まってるのだから・・・

このニュースを見たときに、真っ先に思い浮かんだのは、伊賀や甲賀の忍者達でした。
戦国時代から続いた戦乱が収まった最後の戦いは、天草・島原の乱です。
その後、長い太平の世が続きます。
最後の戦争なので、参加した幕府方の武士たちは相当張り切ったそうです。
戦場での働きが、末代までの待遇を決める訳ですから。
現代の資格試験や、社内の昇級試験のようなレベルとは比べものにならないほどの切迫したものがあったそうです。
自分が死んでも、手柄だけは、誰かに見てもらって報告してほしい・・・ということ。

このときは、甲賀の忍者たちがかなり張り切って参加していますが、怪我をしたという程度の記録にとどまっていて、手柄は特になかったようです。
相手方が、農民やキリシタンで、忍者を雇っていなかったから・・・だそうです。
それまでの戦では、相手方にも忍者がいました。それで、双方にわかる目印で、夜中に会って、双方が知ってる情報を交換して、お互い手柄にする・・・ということをしていたそうです。
相手方に、忍者がいないと、手柄も無い。
ということのようです。

現代でも、政界やビジネスの世界で、いかがわしいけど情報通という人がいて、情報を渡すと、情報をくれるという感じの人がいます。そんな感じの役どころだったのでしょう。

チュニジアーデンマークー村上水軍

人間の感覚というのは不思議なもので、これまで何度となく地中海の地図や航空写真を見てるはずなのに、地中海北岸の地形は頭に入っていたのに、南岸つまりアフリカ側の海岸線の地形や形状は頭に入っていなかった。
イタリアの長靴の先と、チュニジアが思ってたより近いし、シチリア島も、もっと西側にあるかと思っていました。
チュニジアといえば、ジネディーヌジダンの親の出身地としても有名ですが、ユーロ高だったときに、安いオイルサーディンやパスタの輸入元としてもなじみがある土地です。
しかし、地形をみると、何かに似ています。
まず思い浮かんだのはデンマーク。

デンマークは、小さなバイキングビッケでも有名ですが、居直り海賊の名所です。スウェーデンのバイキングが、殺しや略奪の非道の限りを尽くして持ち帰った略奪品を、デンマークの多島海を通って本国に帰る途中、待ち構えていたデンマークの人に補足されます。
デンマークの人は、血も涙もないので、半分置いていけと命じます。
世界を恐怖に陥れたバイキングも、単に待ち構えているだけのデンマーク人にはかなわないので、半分置いていったようです。

日本では、瀬戸内海の大三島周辺海域。いわゆる村上水軍が支配していた地域です。村上水軍は、1割置いていけと言います。
そのかわり、潮流の激しい瀬戸内の水先案内もしますし、ほかの海賊から守ってくれます。

チュニジアは、地中海の中央を遮断しうる場所に立地しています。
東にはイスラム諸国、北にはイタリアの海洋都市、西にはスペインなど。
目の前を富を満載した船が行き来します。
地中海南岸つまりアフリカ北岸は、中東からモロッコやスペインに至る地域をつなぐイスラムの重要な回廊でした。
目の前を異教徒が通るのを素通りさせてたわけではなかったようです。
チュニジア海賊は、風が弱い日に立ち往生してる貿易船を、大勢の奴隷に漕がせるガレー船で強襲します。
財産はすべて没収し、捕虜の身代金を要求する手紙を実家に送らせて、届かなければ奴隷市場で売られます。男はガレー船の漕ぎ手だったようです。
そう考えると、村上水軍の誠実な姿勢は、海賊というよりも、質の高い行政とでもいうべき状況だったと言えると思います。

アフリカ北岸つまり地中海南岸が、いろいろもめてるようですが、歴史的なからみがない日本にいると、本質的な部分での問題点はわからないままな気がします。

白鳥伝説

白鳥伝説 谷川健一

白鳥と古代の伝説の関連に興味があったので読んでみました。
白鳥といえばヤマトタケルノミコトが有名ですが、彼が征伐した部族の土地は、いずれも金属が採掘できる土地だったといわれています。
白鳥と金属採掘民(もののけ姫のエボシ御前達)とのつながりは、古代史の空白を埋めるキーワードのような気がします。

この本は、かなり幅広いアプローチから白鳥伝説と物部氏のつながりやその次代を描いています。
いきなり面白かったのは「日下」(くさか)のこと。
「日下」と書いて「くさか」と読むのは、国語学的にも理由は解明されてないそうです。
谷川さんは、大阪の日下あたりに奈良王朝の前の王朝の首都があったとの仮設を立てます。
ちなみに、日本という国号がつくられたのは律令や日本書紀が整備された時期ですが、その前に、中国の書物に、日本のことを「日下」と記述があったそうです。
倭→日下≒日本
と言う感じです。
日下も、日本も、どちらも「ひのもと」
つまり、太陽が昇るその足元という感じの意味でしょうか。
ちなみに日本人は、古来、朝日を愛で、朝を告げる鶏を神聖視していました。(江戸時代末期までは、日本人は鶏を食べなかったのは神聖視していたからだそうです。)

奈良王朝の前の物部政権は、大阪の日下の草香(ひのもとのくさか)を首都にして、白鳥を神聖視していたということのようです。
ひのもとのくさかが省略され、日下が「くさか」と呼ばれるようになったとか。
なるほどです。
縄文的文化と、弥生的文化の中間に、物部系の山のタタラ文化があり、縄文的なものと弥生的なものの混ざった文化が白鳥と共に日本全土に残ってるというのも面白いです。

建築の歴史では、桂離宮や伊勢神宮的なすっきりとした世界観と、日光東照宮的な猥雑な世界観があり、二つの大きな流れが、ロープのようにねじれつつ一つの流れになって今に至ってると感じます。