コレクティブなメッシ

2011年12月18日は、ある一つのことを世界が認めた日になったと思います。
FCバルセロナは団体で争う球技の一つの理想を実現しているということを。

その中継や報道に違和感を持った人が多いようです。とにかく「メッシVSネイマール」を連呼しすぎ。
余計な音声なく見た人は、もちろんメッシ個人のプレーに魅了されたと思いますが、もっと重要なことに心を奪われたはずです。
11人の選手たちが、メンバーが変わっても同じクオリティのプレーができたこと。
言葉を交わす必要もなく、美しい白鳥の群れのように全体が一つの意識で行動し、結果を出すということ。
個人が全体と調和し、全体が個人の主張を活かす。理想的な個人と組織のあり方を目の当たりにしたという感じです。
メッシの代わりに他の選手が入ったとしてもその関係性にはなんら変化はなかったと思います。
決勝ではおそらく一番ボールを扱った数が多いシャビも、準決勝では温存されていたために、その役割をイニエスタが果たしていましたが、十分な活躍を見せていたと思います。結果もどちらも4-0。
恐らく、現代のサッカーで、かつてのマラドーナや釜本のように圧倒的な存在感の個人が組織を率いるという形が主流を占めるということは無いのではないかと思います。
圧倒的な個人の力を持った選手も、組織全体のために守備や連携を怠るようでは勝てない。そういう時代であるということを改めて示したと思います。

21世紀はいかなる時代か?あと90年近く残ってる今世紀を現時点で予測することは愚かなことだとは思います。
1911年に20世紀を予測することがいかに難しかったかを考えればよくわかります。
しかし、前世紀とここ10年余りの時間を比較してみると大きな違いが見えてきます。
20世紀が始まったのは、日露戦争と第一次大戦の間の時期。機械の力が社会全体に行き渡り、人間の肉体を凌駕し始めた時代です。
坂の上の雲でも描かれた満洲の要塞や平原での機械と肉体のぶつかり合いは、その10年後の欧州でその100倍の規模で行われます。第二次大戦は更にその5倍。
機械や科学と向き合った人間が、社会を組織化し、巨大化すると同時に、人間個人を育んできた時代だと思います。
スポーツや芸術、文学の世界でも、政治や経済の世界でも、巨大な個人が組織を作り、それを牽引することで大きな成果を生み出してきました。ヒーローは個人であり、個人が産み出した組織だったわけです。
しかし現在はどうでしょう。
今年の国民栄誉賞は澤穂希ではなくなでしこジャパン。今年3月に世界が英雄として讃えたのはFukushima50でした。
個人と個人をつなぐ通信の技術が向上すると同時に、前世紀の遺物であるマスメディアの必要性は限定的になっています。
前世紀はピラミッド構造で組織をつくり、上から下に下ろすか、下から上に上げるしか上方の流通がなかったのが、現在は個と個を縦横無尽につなぐ経路が次第に太くなってきています。
国-県-市-地域-家族-個人という社会の構造も、上下の関係ではなく、同じ空間上で距離感もなく共存するそんな認識にあると思います。

そうした組織と個人のあり方は今後はさらに流動化し、新しい着地点をみんなで探していくことになると思います。
行政機構だけでなく、企業や町内会、家族や友人関係なども、過去数十年でまるっきり変わったように、今後数十年でまるっきり変わると思います。
どう変わるのか?
すでにそのモデルを成功例で示している組織があります。それがFCバルセロナだと思うのです。
一にして全、全にして一。
高いレベルで個人と組織が連動するコレクティブな組織が結果を出した。未来の僕達のコミュニティのあり方を示してくれる素晴らしい一夜だったと思います。
とあえずFCバルサのような町内会を目指したい。

伊達直人

ここのところ、伊達直人を名乗って、福祉施設に寄付をする人が増えてるようです。
僕も、市電で席を譲るのも気恥ずかしく思っているので、気持ちは非常にわかります。
ちなみに、年長さんの時の僕の夢は、タイガーマスクになること!だったので、タイガーマスクと聞くと、あの暗い終わりの歌の映像とイメージがぐぐっと沸き起こってきますし、続あしながおじさん(あしながじさんよりも)も好きだったので、孤児院といえばサリー(ジュディではなく)という感じ。

9年ほど前、ある友人たちと音楽イベントをやったときの収益金で、児童養護施設にプレゼントを持っていったことがあります。
クリスマスイブの野外イベントだったのですが、暖かい日で、近くに店も自販機もなかったので、途中でビールでも買ってきて売ろうかという話になりました。
イベントの主旨から、仕入れてきた値段で売ろうかと思ったのですが、ある友人が、高く売って収益でどこかに寄付でもしたほうがいいんじゃないかと言って、それもそうだということで、発泡酒の350mlを500円で売ることに。。。。
お天気のおかげもあって、結構売れたので、そこそこの収益金になりました。
それで、海の向こうに見える似島にある児童養護施設の似島学園に絵本でも買って持って行こうと言う話になりました。
一緒に行く数人で、絵本を買いに行くのも非常に面白かったです。
絵本というのは、頭というよりも、心のこやしになってるものなので、改めて手にとってみるというのも面白いし、他の人の忘れられない絵本を見るというのも面白かった。
それで絵本10冊ほどど、図書券を買って施設に持って行きました。

何か、慈善心があって訪問するというなら、気恥ずかしかったかもしれませんが、酒飲みの習性を逆手にとって稼いだお金でプレゼントするわけですから、僕たちは単にそれを運ぶだけという役割だったので、非常に気楽だったように思います。
いろいろ説明うけたり、話を聞いたりして、小さい子供とちょっと泥遊びをして帰ったのですが、非常に興味深い経験になりました。
日常的にはあまり縁がない施設なので、実情など聞けてたのが大きかったです。
両親との死別で来てる子が多いのかと思いましたが、育児放棄や家庭内の暴力など、育ての親が居ながら、育てられない事情を持ってきている子が以外とおおいということに驚きました。
そうした事情で、家庭内で大きな事件になることがここ数年増えたような気がしますが、そのとき話を聞いていたおかげで、非常にリアリティを持ってニュースに触れることができたことを記憶しています。

ささやかなプレゼントだったので、わざわざ持っていくのもご迷惑かと思ったのですが、行ってよかったと改めて思いますし、ボッタクリ価格で発泡酒を持って行ってよかったです。
伊達直人も、置いて帰るんじゃなくて、一歩足を踏み出すと、もっと何かが起こるように思います。
今、日本社会に必要なのは、物ではなく、人や社会とつながることだから。