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江戸時代、日本を訪れた中国の使節は、瀬戸内海を航海中に、「日本にも大きな川があるんですね。」といったという。
また、ソビエト政府の高官が日本を訪れた際、東京から新幹線にのり、名古屋あたりにさしかかって「東京は広いですね。」といったという。

そのとき、僕は長江の上にいた。
瀬戸内海は少しオーバーだが、ちょっとした湖を延々とつなげたくらい広いその河を表現するのに、そのときは「艦隊砲撃戦ができるくらいひろいなあ」と思ったものだった。
子供の頃夢中になった軍艦の本に河で行動する砲艦というのがあったが、そのころちいさな小川しか知らなかった僕には、さっぱりイメージがわかなかったものだ。

上海から重慶まで、1週間の船の旅。
この船に乗ることにしたのは、どうしてだろう。旅を始めて、ずっと走りづめだったせいか、気持ちがすこし疲れていたせいだろう。
抗州からの列車が上海駅に着いたとき、大勢の客引きに取り囲まれた。宿屋の客引きが多かったように思う。
乱暴に袖を引く男を、肘で押しのけ、大きな声で叫ぶ男には、大きな声でうるさいといい、やっと駅舎の外にたどり着いた。
振り返ると、大勢がまだもみ合っている。

リュックを背負ったまま、しばらく眺める。
彼らの必死の形相を眺めていると、どうも自分も同じようにしないと損のように思えてきた。
自分のペースを守り、周囲の環境と距離を保って旅をするのは、今回は無理だ。あり合わせのお金で、できるだけ長く旅を続けるためには、現地の人と同じものを食べ、歩き、暮らしていくしかない。それも、最底辺のレベルで。
それを楽しもうとスタートした旅だったが、理不尽な周囲のペースに翻弄されていた。
よし!
自分に言い聞かせた。
そして、地面に唾を吐き。気合いを入れた。
とことんまで中国に食らいついてやろう。
中国の大衆に入り込んで、やってやろう!このやろう!くそ!

ぼくのほんとの旅は、この上海駅から始まったといっていいだろう。

浦江をぶらついていて、上海からどこに行くか考えていた。
桂林、雲南あたりをみてみたい。船で出会った中国人が皆行きたいという西双版納がどんなところか気になる。広州あたりにも行きたい。かなり迷ったが、長江を遡る船旅を選択した。
これまでの人生で、暇な時間を過ごすことがまれであった。少年野球、中学野球、高専、大学では建築。

自分を痛めつけることをねらっていたこの旅のなかで、1週間の暇な時間は、これまでの人生で体験したことがない感覚となるであろうことは容易に想像できた。
当然、だれからも呼び止められることはない。言葉も交わせない。読み物はわずかしかない。
身をかきむしりたくなるほど退屈するだろう。

考えただけでも、ゾクゾクする。下手をすると人生で最初で最後かもしれない。
切符売り場の掲示板を見た。1等から5等まである。1等、2等は特別室のようだ。中国人は普通は3等に乗るようだ。しかし、もうとことんまで行く気になっているぼくは、一番下のランクを見てみる。5等に上と下がある。上はいちおうベッドがある。5等の下は、鉄の床の上だ。布団を持ってないぼくは5等上を選ぶ。

切符売りのおじさんは怪訝そうにながめる。その値段は、上海-漢口43.6元(1,200円)、漢口-重慶66元(1,800円)。

1週間、中国大陸を北上して3,000円なのである。

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天山南路

数百kmにわたり、曲がることなく、道路がまっすぐに砂漠を進む。片側に、電線と電柱を伴って。
遠近法が"発明"されたということに、驚いたことがある。
それ以外、の方法を思いつくことができないせいでもあろうか。
バスは、時速100kmで、順調に走り続ける。平行な全てが1点に集中するこんな場所で、"発明"のことを思う。
フロントガラスから前は、上2/3が雲一つない空。下1/3は、砂漠。そこに足元の道路と左脇の電線が、地平線の1点に集まっている。
右をみても砂。左を見ても砂。後ろは、前面と同じ1点透視図。そして、この風景いや状態が何時間続いていることか。
この道は、ウルムチからコルラ、アクスを経てカシュガルにいたる2泊3日のバスルートである。
天山山脈の南に広がるタクラマカン砂漠の北辺を走るその道は、東京-鹿児島ほどの距離があろうか。
朝、みんなでバスに乗り込み、お昼のオアシスでの休憩と、砂漠の中でのトイレ休憩以外は、夕方までひたすら走り続ける。
バスターミナルの上の交通招待所でチェックインののち、羊肉の串刺しを片手に日が暮れて活気が出てきたバザールを冷やかす。女のための布、男のための小型のつば付ナイフ。食品、雑貨。老人と青年の集団と、子供達。みな好奇心が旺盛で、どこから来た?と問う。
つばのない、小さな帽子を頭に貼り付けて、にこやかなほほえみを絶やさないイスラム教徒のウイグル人は、日本人と比較的近い民族である。
やさしく、にこやかで、若干シャイ女性のほほえみは、漢民族の攻撃に疲れ、ささくれた心をわずかではあるが潤してくれた。
バスは、目指すカシュガルに近づいてきた。
道路の両側に広がる砂漠が、少し掘り返されていることに気づいた。注意してみると、幅約1m、深さ40cm。道路の両側をずーっときちんと掘り返している。
上部より砂の層があり、その下に白い層がある。その白い層までを掘り返しているのである。
それを眺めながら数十kmほど走っただろうか、少し幅が広がった。
塩か。土のなかの塩を取り出しているのか。
すると、地平線の向こうまで、塩が埋まっているのか。なんと、まだ1mしか掘り出していない!
奥行2m掘るよりも、道路沿いに1m掘るほうがそれは楽だろうが、この人達は、わずかな幅で数十kmひょっとして100kmちかくもあるかもしれない長さの塩を掘り出している!
地平線のむこうまで掘るには、何千年かかることか、いやタクラマカン砂漠がみんなこうなっているんだったら、考えるだけでも疲れるだけの量の塩があることになる。
中国はおおきい。せかいはおおきい。
狭い世界に飽きたら、この塩を見に行こう。きっと2mも掘ってないだろうが。

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クンジュラブ峠

草木の1本もない岩だらけの山の斜面を、バスがのぼってゆく。
ここは、標高4,934mクンジュラブ峠。
酸素が少ないため、呼吸が早くなる。わずかな頭痛を感じるが、想像したほどではない。
ターボエンジンは、高々度での航空機の活動のために開発されたということが、頭をよぎった。
呼吸を早くし、肺に送る空気の量を多くする。
目指す目的地は、パキスタン側の国境の町ススト。
ここで、大博打がまっている。不安で、しょうがない気持ちが、ここちよい。
そのとき、パキスタンのビザを持っていなかったのである。
中国は、出国した。中国とパキスタンの出入国管理事務所は、このクンジュラブ峠をはさんで、バスで4時間程度離れている。
パキスタンが、入国させてくれない場合、中国に引き返すしかない。そして、当然シングルエントリーのビザだった中国は、入国を認めてくれないだろう。
そうすると、クンジュラブ峠をはさんだ幅数十kmの場所が、ぼくの唯一活動できる地域になる。
理論的には、この国境線ぞいに別の国に行けばいいはずだ。左にはインドがあるが、その間K2(8,611m)がそびえている。右にはタジク共和国、ここもパミール高原がそびえているし、当時ソビエト連邦である。スパイ容疑で射殺か。そもそも、わずかな菓子類と、セーター1枚しか持っていない。
カシュガルでは、ビザ無しだとパキスタン政府に拘束されて、強制送還させられるという噂も流れていた。そのとき、監視員と二人でJALのファーストクラスに乗って自費で帰国しなくてはいけない、ともっともらしく言うやつがいた。当時所持金10万円程度。お金が払えないと監獄行きだと、ビザを持っているパッカー達は、はやしたてた。
そこまでして、どこに行こうとしたんだろう?

中国とパキスタンの国境の町カシュガルは、ウイグルの町で、シルクロードの中央で栄えた交易の町であった。
この町には、端というムードはない。ある意味中心としてのエネルギーを持った町であった。
ある強力な武力勢力に強制的に門を閉ざされてしまっている状態といえる状況である。事実、キルギス、ウズベク、タジクと隣接し、これらの首都は、新彊ウイグル自治区の省都ウルムチまでの距離の半分程度である。
ここで道を引き返すことを考えただけで、大変心が重くなる日々が続いた。1本道の途中で引き返すその帰り道は、かかる時間が長く、往路で胸がはずむ経験が強かっただけに、苦痛となるに違いない。
この道をまっすぐ進みたい。せめて、往った道を引き返すのではなく、ぐるりと周回したいと思った。
バスに乗り込むまでは、インドに行こうと思っていた。青海省では、チベット-ネパール-インドのルートを目指し、断念していたため、最後の手段として、このビザ無し越境を試みているのであった。
急な坂道を蛇行しながら、バスに揺られていた。幸い、左側の座席であったために、K2を眺めながら、これからの目的地を考えた。
k2に雲がぶつかっている。いや、雲がk2を乗り越えようとしている。アラビア海で発生した水蒸気が砂漠を通り、インド亜大陸を越えて、ここカラコルム山脈までやってきた。
そして、巨大な地球の背骨にぶつかり、もみあい、そしてわずかな雲がそれを乗り越えるのに成功した。
日本列島の半分ほどある一つづきの山脈と、広島県ほどある雲の物語を思う。数百万年、いや数千万年というオーダーの過去、未来の物語。
海を見よう。
運良くパキスタンに入国できたら、海を見に行こう。
もうすぐ峠だ。バスも坂を下り始めるだろう。
どうやら、ヨーロッパまでバスを乗り継いでいけるようだ。
この道をまっすぐ進んで、エーゲ海に行こう。

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