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日々雑記 その3
2000年5月4日 

じろうが死んだ


坂を駆け下り階段をすべて下りると、じろうのいる家がある。
崖の上に立つわが家の足元のところ、じろうの家は柱も壁も窓も同じ角度で傾いている。腰が曲がって家以上に傾いた老婆とじろうは暮らしている。

わずかに開いた裏口から道路に出てきては、走り回り寝転び気の向くまま遊び、気に入らないものには甲高い声で吠える。愛嬌のあるシーズーの顔が時にはひどく腫れたり、触れないほど汚れた体になっていることもある。

じろうや、じろうやと声が響く。
家の中から老婆が呼ぶ。はりのあるよく通る声でじろうは呼びかけられる。白髪と曲がった腰の持ち主とは思えない声だ。
家に入りたがらないじろうを、余り困ったふうでなく、おはいりよと誘う声が夕暮れ時によく聞こえていた。

今日も夕方、KとTと3人で買い物に下に降りれば、じろうが佇んでいた。Tがささと駆け寄り、じろうと呼びながらその汚い背中をそっとなでる。どんなに汚くてもTにとってはいつものじろうだ。遠慮がちだが随分親愛の情を示すことができるようになったなあと思う。Tの成長を思い、じろうの存在をありがたく思う。

だから老婆のその言葉は聞き違えたか、冗談のようなものかと思って、よくわからなかったのだ。
買い物から戻ってくると、その家の一部が動き出したかのように(遠くから見ていてKはそう言った)老婆がふらりと出てきて、じろうがいましんだんよ、と言う。
車にひかれた。あの角のうちの車らしい。血が道路に流れている。ここにおるけどもう死んでるからしかたない。
ほんとに今のことなのだ。なにか臭いもする。庭の隅の新聞紙に包まれているらしい。ずっと血の流れた跡から目が離れない。老婆の顔がゆがんでいる。

後ろから来た近所に住んでいるらしい中年夫婦が、まあ気の毒に、でもばあさん気をおとさんと元気だして、と言う。
そうかそういう言い方をするのが大人かと、我々の横を通り過ぎていく彼らの後にぶらさがるようにして歩き出す。
Kが何度もそういうこともあるんだねとつぶやいている。突然のことに感情がついていかない。なんとも言いようがないのだ。
うちに帰って一息つくと、ひたひたとなんだか寂しい気持ちが満ちてくる。
じろうの冥福をここで祈ろう。

次の日。
じろうが亡くなったこと、お世話になりましたという旨の張り紙が、じろうの家に張り付けられていた。達筆なその字は、あの老婆の声そのもので、悲しみがきりりと立ち上がっているようだった。
 

 

 


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