ファンの交換

数年前から使っているLAN接続のHDDのファンが五月蝿くてしょうがなくなったので、分解してファンを交換しました。
驚くほど静かに。常に回り続けるものだから、無理も無い。
愛用のPowerMacG4(6年目)も時々妙な音がするのでおそらくファンだと思って交換してみた。
当時のMacはDOS/Vのパソコンとはファンの電極の形状が違うので、以前電源ごと交換していたので今回は非常に楽だった。
異音も無くなり快調。
おかげでまるっきり無縁だった自作パソコンの販売コーナーに足を踏み入れたのだが、独特の空気が流れていますね。
お客さんは無言でじーっとパーツを眺めている。手に取ってじーっと妄想している人もいる。
工業製品の部品すべてがエンドユーザー向けに販売されていて簡単な工具と技術でつくることができる物は他にはあまり見当たらない。
(お菓子とかパンとか蕎麦打ちもそうかな。)
民族固有の文化というものがなくて、世界中に統一された規格(システム)だけが脈々と受け継がれていってる。
その点Macは固有の(というか特定の個人の)癖みたいなものが濃厚。端から見れば産油国の原理主義的宗教団体に見えるかもしれない。そんなことはないんだけど。

だから、自作コーナーは不思議な違和感があった。パーツにかかれた数値だけが商品の価値で、それらによって組み合わされたものは、コアのない集合体でしかない。老朽化したパーツは容易に取り換えが可能だから、そのパソコンの「実体」も非常に曖昧。CPUだって取り換え可能だし、ケース(!)も当然取り換え可能。
まさにインターナショナル=スタイル。

実は引っ越しの度に使うあてもないのに一緒に移動しているパソコンがあります。インターナショナル=パソコンじゃないからかな。

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