先日の梶川さんのセミナーを聞いた後、あれこれフラーについて考えていた。
僕がフラーを知ったのはフラーが亡くなったあとで、あくまで書籍(わずかな日本語の)が中心だった。
できるかぎり、世界がフラーに熱狂した時代を想像してみると、、、
たとえば、アポロが月に到着したような高揚感を作り出していたのだろうか?
単に素晴らしいテクノロジーを生み出していたというだけじゃなく、人類の行く先を指し示すような何かがフラーにあったのではないか?
もちろんアポロは国家が仕組んだやらせ?で、フラーが到達したロマンの焼き直しかもしれないが。
戦後、我々人類は戦争のために開発した技術や生産施設を持て余していた。
特に航空機の開発や生産で生み出した軽量金属の技術。限られたエネルギーで遠距離を飛ぶ技術など。特に戦争の工場となったアメリカは、焼け野原となった日本とはまるで正反対の状況にあっただろう。
それからおよそ20年の間、人類の希望の先端を走り続けた人の中でもフラーは独自の重要な仕事をした。
特に制御不能となった社会とサイエンスの関係を修復し、地球と人類の協調の可能性を提示した事実は、今僕たちが果実として享受している。
僕が産まれる半年後にアポロが月に到着し、数年後の大阪万博では目玉はフラードームではなく月の石ころだったという。
サイエンス・ロマンに野武士がいなくなった瞬間。
さてそれから干支が3回転した現在、次なるビジョンはどこにあるのか?
フラーは星のような結晶達を地球にばらまいた。
アポロは移動による夢を与えてくれた。
オブジェクト(虚点)の整備と、ロジスティック(流通手段)の整備はほぼ完了した。
次は、情報をそこに流し、そして全体が一つに機能するようにコミュニケーションすることだろう。
まさに、人間が脳を獲得し、機能させるプロセスそのものだと思う。
母胎で人はまず必要な細胞をつくりだす。(脳は約140億の細胞)
次に神経をはりめぐらせ、機能をはじめるという。
人類は現在64億。
必要なシェルターと流通、通信の基盤は整備されつつある。
次は140億の人類がつながったときに何をするのかイメージすることが課題。
クジラや鳥やナウシカの王蟲たちは、一にして全、全にして一という境地に到達している。
140億の人が一緒に何をして遊ぶのか?
代表選手にスポーツや芸能をさせて眺めるというのは、近代主義時代の遊び。
[作品]に[作家]がサインするような野暮な遊びでもない。
140億人が140億個のボールでフットサルでもやるのかな?