大分紀行 その1

宇佐神宮

連休は大分に行ってきました。
最初は三重のチリダ展に行こうと思ってたのですが、連休中に関西方面をうろうろすると、渋滞に引っかかりそうだったので、チリダ展は鎌倉に行くことにしました。
それで大分に行くことに。。。最大の目的は、藤森さんのラムネ温泉。

昔から、瀬戸内の文化圏のことは気になっていました。
主要なポイントは入り口の宇佐、途中の宮島。中継地点の大三島、讃岐、終着点で仁徳天皇陵がある堺又は住吉大社の大阪。特に宇佐は、天皇一族が九州に渡来し、その後宇佐から近畿に移動し、その後も防衛拠点として整備された土地。
ということで、大分の歴史の本を片手に出発しました。

夜の間に国東半島に渡りとりあえず一泊。石仏など仏教関連の遺構が多い地域だが、当時の仏教の伝来元は新羅。彫刻の技術もそちらから伝わったものだろう。元々彫刻の技術は、アレクサンダーが東洋にもたらし、半島を経由して日本に渡ってきているが、百済系の女性的な曲線(曲面)美と、新羅のハードな力強さはどちらも日本の文化にうまく解け合ってる。
国東〜宇佐は、新羅、百済、出雲文化とも関係が深く、海洋民族との関係も深い。
出雲は新羅(辰韓)出身のスサノオのつくった国で、宇佐神宮の八幡神社は源氏の神だが、源氏も新羅出身の一族。
しかし、白村江の戦い以降、新羅や元の侵略を防ぐ防衛の中心となったのが宇佐神宮。調べればいろいろ因縁がありそうだけど、今後の課題にしよう。
豊前、豊後はなかなか奥が深いということだけ認識して移動。

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