景色を描く

週末に、関西方面の美術館に行ってきました。
初日は大阪の国立国際美術館の「アンドレアス・グルスキー展」と神戸市立博物館の「ターナー展

スクリーンショット01

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グルスキーの写真は、巨大なサイズにインクジェットプリントしたり、デジタル加工したり・・・というテクニックが従来の写真家と少し違うところだと思いますが、それが効果的でした。

これまでは、写真は真実をそのまま写すもの・・・という半ば期待に近い感覚を持っていましたが、商業写真は特にそうですが、撮ったものをそのまま使うということは無い状況。
そうであるなら、絵を描くことと同じように、写真機で画像を二次元化し、絵筆を使うようにphotoshopを使う。そういう制作環境となったということ。
デジタル技術を画材とするなら、ごく当たり前の感覚だと思います。

グルスキーが描こうとした対象は、いずれも大自然に加えて、何かに熱中する群衆やその痕跡も多く写っている。
人の営みも又、景色である。とでもいうように。
その視線が興味深かった。

その後、三宮に移動してターナー展に。
ターナーは幼少の頃から天才的な技術を持つ天才画家。
単に趣きのある美しい風景を描くだけでは満足できなくなっていったようです。
自らの表現と、パトロンや、国王も含めたパトロン予備軍の期待は次第に差が広がっていったようで、依頼主の要望に添えなかった作品こそに、ターナーの本来の創造的意図が隠されていたように思います。
特に、最晩年に発表もせず、アトリエの中で実験的に取り組んでいた作品群は、50年後の最先端の世界をまさに実現しようとしていたと思います。
発表しなくて正解だったと思いますが。

800px-Turner,_The_Battle_of_Trafalgar_(1822)

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まるで共通点のない対照的な二人だったと思って作品を見に行きましたが、思わぬ共通点があって面白かった。
どちらも、単なる美しい風景を描くことにに飽きたらず、人の様々な動作やその痕跡も描きこむ。その総合的な景色を選びとる感覚を僕達に感じさせます。
もちろん時代背景が違うので、トラファルガー海戦のシーンであったり、F1レースのピットのシーンだったりします。
しかし、どちらもわかりやすい平べったい切り口ではなく、観るものをそこに居ると感じさせるような画力とスケールで表現しています。
その切り取る感覚に、作者の好みが感じられて、いい時間を過ごすことができました。

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