西瀬戸内紀行その2

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松山観光港に降り立って、先ず南の伊予市に向かった。目的地は内子だったのですが、愛媛の西側の海岸線を見ておきたいということと、大きな幹線道路は避けたいという事が理由。原付はスピードが出ないので、びゅんびゅん車が走る道路は苦手なのです。
伊予市については事前のイメージも無く通ったのですが、どこもかしこも材木を井桁に組んで乾燥させてる。どうみても木材の積み出し港ですね。杉のいい香りがします。
通り過ぎて、内子に向かう山道(昔の街道でしょうね)に通りかかると、今度は杉林のいい香り。
生産と流通と町の成り立ちは非常に分かりやすいです。

内子の町はすごく感じよかったです。古い建物が集中的に残っている場所は、あちこちありますが、普通に奇麗に暮らしているところはなかなか無いです。ちょっとしたすだれの掛け方、ちょっとした花のいけ方。
しっくいも、白と黄のバランスも非常に上品でした。又ゆっくり来てみたい。今回は三回目なのですが。

大洲も三回目。これまでは鰻を食べた記憶しかないので、古い町並みを歩いてみることに。その前に伊予の海岸の魚屋さんが売っていたアナゴと炊込ご飯でアナゴ丼。大洲城の木陰で食べました。最高ですね。
大洲の町並みは、んんんという感じ。悪くないし、うまく使っているのですが、内子を見た後だとまじめな感じ。

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八幡浜に向かう途中、あまりの暑さにお地蔵さんの小屋で休息。ありがとう。

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八幡浜は、ジャコ天のみ。萩森商店が美味しいということで、そこではらんぼ天を買う。美味しかったし、その後、飯を食べそびれた時に、はらんぼ天が救世主に。
保内を通って佐田岬へ。
ちなみに、石原慎太郎、裕次郎のお父さんは山下汽船の重役だったのですが、このあたりの出身です。
明治あたりに栄えた町らしくて、海運も盛んだったのでしょう。
石原兄弟の独特の品のなさと、人懐っこさは、南伊予の気質なんでしょうか?
司馬遼太郎は日本で一番好きなのが南伊予の人らしいです。

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佐田岬ではいきなり原発。道の駅があったので入って展望台に上がっても原発鑑賞。
どう考えても、活断層地帯なんですが。佐田岬は、九州の巨大火山の痕跡の阿蘇と、フォッサマグナをつなぐ東西の中央構造線の活断層の大動脈です。迷惑施設は人がすんでないところにつくるしかないので、しかたがないのかもしれないけど、、、確かに、地盤が堅固で広々した敷地で、天災や地震に遭う可能性が低い土地なら、縄文時代から人が住んでるはず。万単位の世帯を移住させるということが、日本では不可能なので、どうしても本来建物を建てるべきじゃないところに、こうした物が建つということになってしまうんでしょう。
同じ岬でも、なぜ瀬戸内側なのか?なぜ太平洋側じゃないのか?という疑問があったのですが、現地に行って納得。波が猛烈に強いんです。岬の南側と北側ではまるで違います。

ほんとは佐田岬のあちこち寄りたかったのですが、岬の先端を目指しました。
岬の先端からぐるっと海を見渡すと、豪快な風景が広がっています。
海の向こうに、佐賀関が見えます。しかも、その狭い海峡に向かって太平洋の黒い荒波が迫ってきます。
風も強い。風力発電の巨大風車もたくさん立ち並んでいます。すごいとこです。

ウニ丼を食べて、日暮れ前に三崎港の近くのキャンプ場に到着。
初日はとにかく走って通り過ぎたという感じでした。走行距離192km。

「西瀬戸内紀行その2」への2件のフィードバック

  1. アナゴ丼。rn美ではないが、美味しそう。rnrn内子。rnなぜだかこの町の名前は僕の記憶のいつもすぐ取り出せる所にあるんです。rnかといって何も町の記憶はないけれど、名前の響きだけ。

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  2. 内子といえばノーベル文学賞の排出地ですね。そのせいでしょうか?
    かつての繁栄を今に伝える文化レベルの高い町です。

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