ジーコと乃木

05052301zicoGRA00114G050522.jpg

ジーコが代表の監督として期待されたこと。
川淵の意図はわからないが、オリンピックの野球チーム監督が病床の長嶋であったことと、意味は近いと思っている。
技術的な意味での監督ではなくて、皆があやかりたくなるほどの存在感を背景に、精神的支柱として集団を支えて欲しいと。神と半分冗談半分本気で呼んでいるところも。

現在のジーコの表情はさえない。やけになっているといってもいい。
周りが勧めるヘッドコーチを置こうともしない。

先日の負け戦の後のインタビューを見ていて、ふと乃木に似ていると思った。
もちろん乃木は直接は知らないが。
精神的支柱としての国家最大の作戦の指揮官として任命されたが、必要な作戦が立てられない。参謀がいない。(又は無能)
どこをどうやったらいいかわからないから、使い慣れた戦術でひたすら死傷者の山を築くだけ。
しかし、任命した人の手前、自ら辞めることもできない。
そうした苦悩を少し感じた。
乃木は土壇場で有能な上司が救ってくれて、辛うじて勝利の人となった。
ジーコはどうだろう?今のところ、誰もが驚くほどの強運を発揮しているが、それは誰もが理解に苦しむ人選や采配から生じているとも言える。
スポーツも仕事も所詮人間のゲーム。メンバーの強い絆が最後の最後で強運をたぐり寄せるというジーコの信念は理解できるし、僕も信じている。
それにしても、しかし・・・というのが昨日の結果。

日本人は根本的に、楽観と悲観が紙一重で、めまぐるしく裏返る性質があると思うが、僕もそう。
日本代表に対しては今は悲観モード。
喜怒哀楽はなるべく深い方が人生を堪能できると信じているから、次のUAE戦、そしてバーレーン戦に対する緊張感がいやでも高まっていることは、ミラクルな作用を誘引するジーコの秘技に引っかかっているのかも・・・

コメントする

CAPTCHA