平成23年02月23日 共生社会・地域活性化に関する調査会

平成23年02月23日 共生社会・地域活性化に関する調査会に参加した平田オリザさんの意見陳述。長いですが、全文貼付けておきます。
文化と社会の関係を述べたすばらしいスピーチだと思います。
震災の前の会議でしたが、東北の震災の復興に関して何を大切にすべきか、多いに参考になると思います。
その後の質疑応答も、興味深い内容でした。

平成23年02月23日 共生社会・地域活性化に関する調査会

○参考人(平田オリザ君) 平田でございます。よろしくお願いいたします。(資料映写)
 地域の文化政策について少し話をさせていただきたいと思っております。
 私は劇作家、演出家が本業でございますので、この十数年、全国回って仕事をしてまいりました。その中で非常に強く感じるのが、地方都市の風景というのは非常に画一化してきているなということを感じます。要するに、郊外にバイパスができて、郊外型ショッピングセンターができ、旧市街地は非常に寂れてしまってシャッター銀座というふうな言葉も出てきたわけですね。これ、私、一九七九年に初めてアメリカに行ったんですけれども、七〇年代末のアメリカの風景に非常によく似てきたんではないかと思っています。
 七〇年代末のアメリカというのは、ベトナム戦争の影を引きずってアメリカが精神的にも経済的にも最も落ち込んでいた時代でした。白人中産階級は車でショッピングセンターに行くだけで、そして旧市街地はもうスラム化して、非常に昼間でも人が寄り付けない地域がたくさん出てきた。日本はまだそこまでひどくはなっていないんですけれども、実際には商店街の空き店舗がいわゆる不良少年たちのたまり場になって、犯罪の萌芽が見えてきているというような報告も出てきています。こういったコミュニティーが完全に分断された状況というのが出てきているんではないかと。
 このような風景は実際にはもうこのつい二、三十年で急速に完成された風景であって、かつては旧市街地、商店街というものがいろいろなポテンシャルを持っていたわけですよね。私は東京の駒場という町の商店街で生まれ育ったんですけれども、こういった商店街の中では、例えば子供が隣近所にちょっと預かってもらったりとか、あるいは、例えば駄菓子屋さんに行って、子供がふだんは十円玉でお菓子買いに行くわけですけれども、それをたまたま一万円札で買いに行ったら駄菓子屋のおばさん注意したりとか、あるいはその親に、おたくのお子さん、ちょっと一万円札で買いに来たけど大丈夫というような、こういったものを私は無意識のセーフティーネットと呼んでいます。
 要するに、かつては村落共同体にしろ商店街にしろ、そういった無意識のセーフティーネットがあって、それが地域の様々な安全や安心を支えてきたわけですけれども、そういったものが非常に急速に崩れてきているんではないかということです。
 では、どうすればいいかということなんですけれども、単純に、じゃ、そういった商店街を何か活性化すればいいのかというと、そうもいかないと思うんですね。
 それで、大事なことは、例えば、これ例えばの例ですけれども、子供たちなんかを例にしても、いじめの問題というのは余り単純化するのはよくないんですが、かつては子供たちは学校社会だけではなくて、ドラえもんに出てくるような広場みたいなものがあって、そこでも遊んでいて、そこは学年を超えた交流なので、例えばいじめられっ子というのは昔からいたわけですけれども、そのいじめられっ子も広場に行くと、その子、また広場でもいじめられたかもしれないけれども、そこは学年を超えた交流なので餓鬼大将みたいなのがいて、餓鬼大将というのは自分の子分がいじめられていると知ると仕返しに行ったりしたわけですね。要するに、社会全体に重層性があったと、子供の社会にも。今はもう子供たちの居場所も学校しかないので、学校でいじめられてしまうと、大人から見るとあっけないほど不登校になってしまったり、あるいは心を病んでしまったりすると。
 じゃ、この広場をそのまま復活すれば、原っぱのようなところを復活すれば子供たち戻ってくるかというと、そう簡単なことではないんだと思うんですね。要するに、私たちは現代社会に合った形で、あるいは市場原理にもきちんと折り合いを付ける形で新しい広場、新しい人々の居場所というものをつくっていかなくてはいけないんじゃないか。その一つが劇場であったり、音楽ホールであったり、あるいは図書館であったり、美術館であったりするんではないか、あるいはフットサルのコートであったり、ミニバスケットのコートであるかもしれないですね。そういった居場所をつくっていく。
 私が仕事をしている劇場という空間はよく非日常の空間と言われますが、非日常の空間というのは何かお化け屋敷みたいなところが非日常の空間なのではなくて、要するに経済原理だけでは出会うはずのない人が出会うということが大事なんだと思うんですね。
 かつて、これ東村山だったと思いますけれども、十年ほど前ですが、中学生がホームレスを撲殺してしまったという事件がありました、これ御記憶の方も多いと思いますが。これは冬の寒い時期で恐らく居場所がなかったんですね。ホームレスもそれから中学生も図書館に行くわけですけれども、残念ながら日本の図書館はまだコミュニティースペースではなくて学習の場ですよね。だから、静かにしなきゃいけない場所で、そこで中学生が騒いでそれをホームレスがたしなめて、それを逆恨みして塾の帰りに中学生がホームレスを撲殺してしまうんですけれども。これは明らかに中学生は悪いですが、しかしそういった弱者の居場所をつくってこなかった日本の都市政策の無策があるんではないか。要するに、経済合理主義だけで町をつくっていくと、そういった弱者の居場所というのはなくなってしまうわけですね。
 今、欧米の多くの図書館は学習の場というよりもコミュニティースペースとして機能させ始めています。図書館の役割は非常に大きくて、引きこもりの方でも近くのコンビニと図書館だけは行けるという方多いんですね。そうすると、次に行政がやらなきゃいけないことは、その図書館の中に例えば談話室みたいなものを設けて、そこにカウンセラーなどを配置して、少しずつコミュニケーションが取れるようにする。恐らく次の段階では、その引きこもりだった人たちに、じゃ、ちょっと子供に読み聞かせやってみない、ボランティアやってみないというような今度は出番を用意する。これが居場所と出番ということなんだと思うんですけれども。そういった政策を進めていく上では、図書館、美術館、音楽ホール、劇場、そういった文化施設というのは非常に強い力を発揮するというのが今の欧米の基本的な政策です。
 これを文化による社会包摂というふうに呼んでいます。要するに、もう地縁血縁型の社会、特に日本の場合には稲作文化だったということもあって、非常に強固な地縁血縁型の社会、誰もが誰もを知っている社会をつくってきたわけですけれども、しかしその地縁血縁型社会はもう半ば崩壊してしまった。
 内子町のように非常に小さなコミュニティーだったらそれでも可能なんですけれども、多くの地方都市はもうそれは維持できないんですよね。で、無縁社会と呼ばれる社会になってしまう。しかし、人間は社会的な生き物なので全く孤立しては生きていけないんですね。そうすると、これからは、私たちは誰もが誰もを知っている社会から誰かが誰かを知っている新しいコミュニティーにつくり変えていかなきゃいけないんではないか。僕はこれを緩やかなネットワーク社会と呼んでいるんですけれども、要するに、強固な村落共同体型の社会から新しい都市のコミュニティーにつくり変えていかなきゃいけない。
 その誰かが誰かを知っているというのは、例えば演劇を通じて、例えば音楽活動を通じて、例えばフットサルを通じて、例えばバスケットを通じて、例えば野球を通じて、大人と子供、子供と子供、障害者と中学生、ホームレスと高校生、いろいろな組合せが可能なコミュニティースペースを町のそこかしこにつくっていく以外に、恐らく日本の地域社会の再生はないと思っているんですね。
 これの一番象徴的な例が、ヨーロッパの多くの都市で今取り組まれているホームレスプロジェクトというものです。これは、ホームレスの方たちに、月に一度でもシャワーを浴びてもらって、バザーで集めた服を着てもらって、コンサートやオペラや美術館に招待する。先進国のホームレスは生まれ付きホームレスなわけではないですね。もちろん経済的な理由が一番ですけれども、もう一つはやはり精神的な理由が大きいと。社会からドロップアウトしてしまう。その方たちにどうやって社会と接点を持ち続けてもらうかと。ホームレスは極端な例ですけれども、失業なさった方たちも、要するに最初のうちは一生懸命ハローワークに通うわけですけれども、これはだんだん嫌気が差してくるというか、精神的に参ってしまうわけですね。
 要するに、今までの日本の雇用対策というのは成長社会を前提にしていましたから、半年も頑張れば、我慢すれば、本人にやる気があれば必ず職に就けたし、手に職を持っていれば一生食えていけた社会モデルが前提になった雇用政策だったと思うんですね。しかし、今一番国民が不安に思っているのは、やっぱり先が見えない、幾らハローワークに通っても自分に合った職が見付からない、だんだん精神的に落ち込んでくる、世間の目もあるので家から出たがらなくなる。それが最終的には大人の引きこもり、あるいは更に厳しい場合には孤独死につながっているわけですね。そういう方たちを孤立させない政策というのがこれからは必要になってくるんだと思います。孤独死は社会的なリスクもコストも非常に高いですよね。一旦それが起こってしまうと物すごく税金も掛かってしまう、実は。
 だから、そういう失職された方たちが、半年、一年、求職活動をしている間も社会との接点を常に持ってもらうということが大事なんじゃないか。今までの日本の雇用政策は、雇用保険受給者が昼間にお芝居なんか見に行ったら、求職活動ちゃんとしてないんじゃないかといって雇用保険切られちゃうような政策をしてきたわけです。そうじゃなくて、ああ、よく劇場に来てくださいましたね、ああ、美術館に来てくださいましたね、社会とのつながりを持っていてくださいと、これが文化による社会包摂、要するに弱者を孤立させない、社会とのつながりをどこかで持たせる。これは経済活動だけでは無理なんですね。
 ですから、文化活動でもいい、スポーツでもいい、あるいはボランティア活動でもいい、農作業体験でもいい、何か社会との接点を持続させるような政策、そのときに特に地域においては文化活動やスポーツ活動というのは非常に重要な役割を果たすのではないかと思います。
 ナント市、これは文化による都市の再生の最も有名な例ですけれども、これは河島先生の方がお詳しいので後でまたお触れになるかもしれませんが、ナント市はフランス最大の造船業の町で、重厚長大型産業の町でしたので、これが日本と韓国の造船業にやられて壊滅的な打撃を受け、失業率二十数%という大不況に見舞われます。しかし、ここに若い市長が登場して、ナントを文化によって再生させると宣言し、町の中核に大きな芸術センターを造り、パリから芸術家をたくさん呼んでアパートに住まわせ、そして今、ナントはフランスで最も文化的な町、最も芸術家に優しい町というイメージをつくり上げました。多くの高齢者、リタイアした方たちが、文化活動が盛んで気候もいいということでナントに移り住むようになりました。造船業も復活しました。これは町のブランドイメージが高まったので、ナントで造られる高級クルーザーが売れるようになったんですね。それから、元々は歴史と伝統のある町ですから、ここに豪華客船も寄るようになりました。これはナント・モデルと言われる文化による都市の再生の例です。
 ちょっと時間がありませんので少し急ぎますが、金沢市、これ御覧いただければ分かると思うんですが、金沢というのは兼六園という単品に頼った日本の典型的な観光都市でしたが、八〇年代以降、海外旅行者に客を奪われ、長期低落傾向にありました。しかし、平成十六年、金沢21世紀美術館が開業し、これ平成二十年の数字ですけれども、兼六園が百八十万人に対して金沢21世紀美術館の来館者数はもう百六十万人。兼六園に行く方はほとんどが21世紀美術館に行くということなんですね。そのおかげで、この長期低落傾向にあった、これ、この前の数字があるとよかったんですけど、平成十四年はこれは「利家とまつ」の放送の年で一時的に伸びたので、二百万人を切るところだったのがV字回復して、今はもう「利家とまつ」の年を抜いていると。これはもう金沢の21世紀美術館の効果だと言われています。これは美術館が町を救った例です。
 富良野、これは「北の国から」で有名な町ですけれども、今、富良野は海外からの旅行者が非常に多いですね。富良野は大変な、文化にも力を入れていただいていて、今観光客で大変にぎわっていると。ラベンダーというのは、ラベンダー畑をみんな見に来るわけですけど、これは元々は農業の、香水の原料だったものが、香水の原料が人工香料に変わる過程で一旦全部潰されていくんですね。ところが、これを観光資源として使えるんじゃないかということで、半ば偶然のように復活をしたわけです。要するに、これは第一次産業が第三次産業に転換したという例です。ただ、その過程で富良野市民の方たちは様々なアイデアを出して、ラベンダー摘み体験とか香水工場の見学とか、要するに、どういうふうにそれを売っていくかと、付加価値を付けていくということを非常にやってこられたわけですね。
 その富良野に対して、横に芦別という町があります。もし御関係の方がいたら大変申し訳ないんですが、芦別は、これは見えているのは大観音と五重の塔、これは九〇年代に北の京という名称でリゾート開発がされました。この裏には第三セクターで破綻したカナダ村があります。この五重の塔の横には三十三間堂を模した巨大なホテルもあります。今これを、全施設をパッケージで一億円で売りに出されています、完全に破綻して。
 全く隣町なんです、富良野と芦別は。何でこんなことになってしまったのか。要するに、自分たちの強みは何か、小さな町が自分たちの観光資源は何かということを冷静に判断し、そこにどういう付加価値、ソフトの付加価値ですね、を付ければ、国内はもとより海外からも観光客が誘致できるかということを自分で判断しないと、あっけなく東京のディベロッパーに僕は文化的に収奪されているんだと思うんですね。僕はこれを文化の自己決定能力というふうに呼んでいます。要するに、自分たちの文化資源は何かということを自分たちできちんと判断できないと、全国一律、ミニ東京、ミニリゾート、ミニディズニーランドをつくるような観光開発が今まで行われてきてしまったと。ここに日本の地域社会の疲弊の大きな原因があるんではないかと。
 じゃ、文化の自己決定能力は何によって養われるのか。僕は、子供のころから優れた芸術、豊かな芸術活動に触れること、あるいは外国の方とたくさんコミュニケーションを取るとか、そういったことによってしか養われないと思いますが、今の現状では、こういった機会は東京や大阪のような大都市圏の子供たちに限られてしまっています。文化の地域間格差は非常に激しい。そうすると、この文化の自己決定能力は、このまま放置しておくと非常に格差が激しくなってしまう。せっかく日本は百四十年掛けて教育の地域間格差をこれだけなくしたにもかかわらず、文化の地域間格差が非常に大きいので、この文化の地域間格差によって地域の競争力に大きな差が、隔たりが出ているというのが今の現状です。
 これは行政がやらないと、市場原理に任せておけば大都市圏が有利になるに決まっているんですね、文化活動というのは。直接的にはお金にならないので、二十年後、三十年後の投資的な費用ですから。これは是非国の政策として行っていただきたい。
 もう一つ、ちょっと時間ですので、終わりにしますが。
 先生方、公共事業をやっても地域が潤わないということはもう実感なさっていると思います。もちろん必要な公共事業はあると思います、安全対策とか。それからもう一つは、よく言われるようにカンフル剤、モルヒネのような痛み止めの公共事業が必要なときもあるかもしれません。しかし、今は消費社会になっていて、そしてその最終消費手段を全て東京資本が握っていますね。だから、公共事業をやっても、お金が地域で一周する前に、全部ショッピングセンターでみんな買物するから、商店街で買物しないですから、吸い上げられてしまうわけですね。ここに一番の問題がある。
 大事なことは、消費社会なわけですから、それに気が付いて、皆さん、地産地消、地産地消と言うんですけれども、こんなにエンゲル係数の低い国で食品だけ地産地消していてもお金が回らないんですね。大事なことはソフトの地産地消です。自分たちで生み出して、自分たちで楽しみ、そこに付加価値を付けてよそからもお客さんを呼んでこられるかどうかということが地域活性化の唯一の方策だと思っています。じゃ、このソフトの地産地消、要するにソフトを地産できるかどうかに地域の生き残りが懸かっているというふうに思っております。
 ちょっと駆け足でしたが、以上で終わりにします。

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