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TABI

 

両班house(yanbanghouse)/2000.8.15

醴泉(yechong)/2000.8.16

白鳥の城(swan)/2000.8.17

乱打(nanta)/2000.8.18

夕涼み(sunege)/2000.8.19

臑毛(sunege)/2000.8.20


鐘路(chongno)/2000.8.13

目的地は鐘路。安旅館街を目指す。
地上に上がる。街の変化に驚く。
日本のようだという表現は、あまりにも陳腐だが、ガラスを多用する建築のなんと多いことか。しかしそれ以上に眼を引くのが、「○○.kr」。そうIT革命真っ盛り。日本をとっくに追い越した韓国の姿がそこにあった。
ビルの看板やタクシー、バスにまで企業名と同じウェートで「.kr」がある。
日本より圧倒的に騎馬民族的要素の強いこの国の情報に対するスタンスは、大変興味深い。あのナムジュン・パイクを生んだ国だから。

道路沿いには、戦闘警察隊の若者が警備している。もうすぐ光復祈念節なんだ。
身を引き締めて、誤解されないような行動をとるように心がけよう。
日本政府から小市民に至るまでが、この民族に対して思い出すのもいやな経験を強いた訳で、このようなことを未だに続ける人間の業に哀しみを憶えつつ、少なくとも自分が荷担することは避けようと改めて思う。

彼らの移動バスが、道路脇でアイドリングしている。
ここにも、もちろん「.kr」。

これを見て、ホームページにアクセスする物好きもいないとは思うけど、ついやってしまうのは、「やるときはやる。時々やりすぎる」国民性のなせる技。


安東布(angdongpow)/2000.8.14

そこは4畳半くらいの部屋だった。
真ん中に4角いちゃぶ台があり、ぼくと他に4人が茶碗を片手に箸を口に運んでいる。
どう対応しようか一瞬まよったが、あまり考えないことにした。
日本を発ってまだ24時間経っていない。この安東に到着して1時間も経っていない。それなのに、迷いつつ飛び込んだ旅館の小部屋でキムチをつつきながらご飯をごちそうになっている。

小さなステンレスの蓋付きの椀にご飯がかるく盛られて、目の前の皿や器には様々なキムチ類が並んでいる。
丸顔のアジュマが、簡単に説明してくれる。
発音がそれほど違わないことに少し驚く。

朝一番の高速バスでソウルを発ち、安東バスターミナルでバスを降りたのがお昼前。安旅館街をぐるりとさまよい、食べるところ、コンビニ、いかがわしさ、治安の程度、市内交通の便、一通りチェックして、適度に古ぼけて、それほど値段も高くなさそうなこのピョルゴンチャン旅館に飛び込んだのだった。
今回の旅の旅館の選択基準は、値段はそこそこで安眠できるそうな立地、TVもクーラーもちゃんと動いて、扇風機(洗濯物を干すために使う)もついていることだった。
そしてもう一つは、いわゆるラブホテル的な用途率の高い旅館は避けたいということだった。
いろいろ品定めをして、あまり差のないことを確認すると、なんとなく入りやすかったこの旅館の階段を上がっていったのだった。
すると、上がりきった廊下の突き当たりに古ぼけた自動販売機が突っ立っているではないか。まあしょうがないかと思い、だれかいますかーと大きな声をだす。(これは歯ブラシの自販機であることが後で判明)
奥の方から禿頭の無愛想なオヤジが出てきた。
空き部屋はあるか?ベッドルームがいい。部屋を見たい。OK。1泊。
いつもの手続きを踏んで、部屋に入り、身支度を整える。とにかく、言葉が通じなくても、いちおう接触は試みるようにしよう。
「ここへ行くバス停はどこですか?」と日本語と地図と身振り手振りで語った結果が、ちゃぶ台の食事だったのだ。

たまたま旅館に遊びに来ていた五木ひろし似の男性が、少し英語ができて「どこ行きたいんだ?」と聞いてくる。
「ジャパンか?」「トーキョーか?」いつもの問いに、おきまりの返事をする。「ジャーパニーズ」「ヒロシマ」
持ち歩くつもりだった「韓国の建築」という本を差し出して、建築家で建築の勉強に来た。韓国の住宅は最高だ。オンドルもいいが、オレはマルが好きだ。
しばらく話をしてると「車で案内してやる」「飯はくったか?」と聞いてくる。
昔のトルコでの厚かましい男の記憶がふとよぎる。
ご馳走してくれるのか、おごれといってるのか?どっちでもいいけど胸が弾む。
曖昧な返事をしてるうちに、4畳半に引っ張り込まれてご飯を食べているのだった。
もうこの瞬間に韓国大好きになってしまった。