「小杉放菴展」笠岡市立竹喬美術館 8/1 はじめ小杉放菴は小杉未醒と名乗り、やがて放庵、そして放菴と改める。洋画家として出発し、のちに日本画、水墨画に傾倒する。繊細で達者、風雅で洒脱。好みです。大正4年の「列仙屏風」は、ぜひコムデギャルソンの店に、飾ってもらいたい。軸装の趣味が良くて、ひとりうなっていた。ふらりと訪ねた展覧会のひろいもの。
「ママディ・ケイタ&セワカン」in岡山県美星町 8/1 7年ぶり(?)のアフリカのジャンベ奏者ママディは、貫禄が付いて北島三郎のようだと、Kがしきりに言っていた。山本譲治のような弟子を何人か率いて、ママディ一家の心温まるステージを目指していた。トークは、ちょっとサービス過剰。野外のステージで、みんな座り込んでいるため、立ち上がって踊ると後ろの人見えないだろうなとみんなが思っている。大人の暗黙の了解で、たちあがれない。たまらない人達が横の方でかたまって踊っている。でさいごの盛り上がりのところで、ママディが、立ち上がってコール。やっとからだに音が入ってくる。やっぱり、これ聴く音楽じゃなくて、感じる音楽でしょ。
アッバス・キアロスタミ「ABCアフリカ」 8/3 ひさしぶりに、キアロスタミの映画。いつもの手法なら、この「ABCアフリカ」という映画を撮った映画監督のストーリーという映画にしそうなものなのに、今回はストレートなノンフィクション。IFADからの依頼のための映画だからって事なのか。映像と編集で映画という形にするキアロスタミにとっては、ストーリーはどっちでもいいかもしれない。監督とカメラマンはデジタルカメラを持ち、大げさな装備もなく、人々を、風景を撮り続ける。そして旅のように映像は流れる。車の窓越しに流れる景色のように。淡々と。そこに生と死は確実に存在し、やがて忘れ去られる。横川シネマにてひとり貸し切り。がんばれ横川シネマ。
秋野不矩美術館 静岡県天竜市 8/9 丘の上にある、杉板と土壁で異国の城のようなたたずまいを見せる美術館は、見上げながら坂道を上っていくというアプローチで、気持を盛り上げる演出効果大。全景が見られる頃には坂道が終わり、意外とこぢんまりとして親しみのもてる様子の建物がそこにある。まず木製自動引き戸が厳かに開いて、観覧料を払い、靴を脱いで、スリッパを履く。扉、傘立て、照明、壁、床、柱、目に付くもの全部、なにか物言いがある。自然素材にこだわっているのだが、なんだか妙に目に付くので、こちらの気持がそぞろになってる。またスリッパを脱いで、展示室へ。竹の敷物の上を歩く。次の展示室。ここは白い大理石。冷たくて、裸足になってぺたんと座って、お尻も冷たくて気持ちがいい。インドのお寺や風景もそして見ているこちらも、床から10センチくらい宙に浮いてるかのような、不思議な浮遊感を感じる。美術館での体験としては、こういうことは珍しいし、面白いと思う。ただ秋野氏の作品とコラボレートする意味での空間としてどうか。これが他の作家の作品だったらどう感じるか。と今は考えてしまう。なんとなく、美術作品よりも、建築作品としての主張が強いような気がする。タンポポハウスもニラハウスも、藤森氏のやりたいって思いが前面に出てるものね。でも、天竜市でもどこでもない場所にいるような、解き放たれたひとつの確立した場所としての強い存在感に、満足しました。
春夏秋冬「夏のひととき展」8/23 クレージーステッチを駆使した作品をつくっている沖眞理さんとこの企画展。沖さんちが展覧会場(いい感じの民家)。何年かぶりに再会し、広島に戻っていることを知り、今後もここでいろいろ企画していくことを聞き、とても嬉しい。
その他
実家にて。洋裁に励みました。子どもパンツ2枚、幼稚園スモック、ブラウスとワンピース。洋裁ってストーリーがあると思った。編み物や織物は、ひとつ視点を見定めて同じ集中力でゆるぎなくいくって感じだけど、洋裁は起承転結があって、見せどころや落としどころがある。女らしいワンピース、さていつ着るのだろうか。
母の宿題。幼稚園の宿題、手芸作品提出は今年は人形作りました。ここのところ秘かにまわりの人達に伝え教えた人形の小さい版。もうかなりオリジナルなものになったな。
8月の最後。台風のせいで変なお天気、そしてTの発熱、3時間の点滴、親しい友人の引越。立て続けに襲いかかる波をうける。そうこの夏、幼稚園での友人が(Tにとっても)3人引越。きのうまで何の疑いもなく仲良しだった人達が、ある日突然いなくなる。きょうから会えないよって。これってなんかふられちゃったときの感じに似てなくないか?為すすべもなく受け入れなくてはならない不条理な感じ。力が抜ける感じ。時折こみ上げて泣けてきちゃう感じ。ここ何年か味わうことのなかった気持ち。
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